「 延喜式内社・荒雄川神社の論社 」 @大崎市岩出山池月に鎮座します・・・荒雄川神社 A大崎市鳴子鬼首に鎮座します ・・・荒雄川神社

延喜式内社 玉造郡
 
 荒 雄 川あらおがわ 神 社 

荒雄川神社
 宮城県大崎市岩出山池月字上宮宮下12 鎮 座 地図




● 拝 殿 ●
荒雄川神社

 御 由 緒 


・延喜式神名帳にのっている玉造三座の一社で、鬼首の荒雄岳上の社を奥宮と称した

 のに対して里宮と称され、神宮寺も併置されて、この地方の振興の中心となってい

 た。御祭神は須佐雄尊と瀬織津媛尊で応徳3年(1086年)ころ、源義家が征東の際、

 戦勝を祈って黄金の剣を奉納したと伝えられている。嘉応2年(1170年)に藤原秀衡

 が鎮守府将軍となった時に奥州一之宮とする。室町時代には、奥州探題の大崎義隆

 が大崎五郡の一之宮とし、江戸時代に至っては、岩出山・伊達家の氏神となった。 

 寛保3年(1743年)、幕命により江合川(荒雄川)沿いの三十六所明神を合祀したので

 三十六社様とも称されている。明治6年郷社に列し、その後、字賜目の南方神社と

 上羽黒神社、字下宮の気勝神社、字上一栗の羽黒神社・愛宕神社・山神社を合祀。

・境内社:水神宮(天水分神)、山神社(木花開耶姫命)、天神社(菅原道真公)。   



 御 祭 神 


○大物忌神(オオモノイミノカミ)   ○建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)         

○瀬織津姫命(セオリツヒメノミコト)  ○大国主神(オオクニヌシノカミ)  ○言代主神(コトシロヌシノカミ) 

○大山祗神(オオヤマズミノカミ)   ○軻遇突智神(カグツチノカミ)  ○倉稲魂神(ウカノミタマノカミ) 

○武甕槌神(タケミカヅチノカミ)   ○経津主神(フツヌシノカミ)               



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○ 瀬 織 津 媛 命 ○

・須佐雄尊、 ・大物忌命、 ・級長津彦命、 ・級長津姫命、・ 建御名方命

・倉稲魂命、 ・大山祗命、 ・大己貴命、   ・少彦名命、   ・軻遇突智命



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● 本 殿 ●
荒雄川神社



神輿殿



● 山 神 社 ●
山神社



● 天 神 社 ●
天神社



神社遺跡



荒雄岳

・荒雄岳は標高は984mで、栗駒国定公園の三つの山岳群の鬼首(オニコウベ)カルデラ

 一帯の中央火口丘です。また、荒雄川とは、荒雄岳の水神という場所を水源と 

 し、上流を荒雄川と呼び、そして岩出山(イワデヤマ)町の池月あたりからは江合川 

 (エアイガワ)と呼ばれ、石巻市桃生(また河南町)あたりで旧北上川と合流し、石巻 

 港へと流れる全長約80kmの河川です。                   


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延喜式内社 玉造郡

 荒 雄 川あらおがわ 神 社 

荒雄川神社
 宮城県大崎市鳴子鬼首字久瀬3 鎮 座 地図




荒雄川神社

・このページの写真は例祭(9月9日・10日)の翌日に撮影したもの。

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●  社 殿  ●
荒雄川神社

 御 由 緒 


・荒雄川の水源を司る神とし、信仰されている。往古、荒雄川の水源である荒雄岳

 (984m)の山頂に霊石(大物忌石)があり、岳宮として祭られていたが、明治5年に

 現在地に遷座した。荒雄川流域には、36ヶ所に神社があったところから、三十

 六所明神、三十六社様と称された。明治になり、字小向の八幡神社、字三杉の御

 岳神社、字田野の山神社、字単澤の愛宕神社を合祭。            

・境内社:雷神社(大雷神)、八幡神社(譽田別命)、主馬神社。         



 御 祭 神 


○大物忌命(オオモノイミノミコト)、○大山祗命(オオヤマヅミノミコト)、○素盞嗚命(スサノオノミコト) 

○日本武尊(ヤマトタケルノミコト)、○軻遇突智命(カグツチノミコト)、○誉田別命(ホンダワケノミコト)



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荒雄川神社



● 八幡神社 ●
荒雄川神社



● 主馬神社 ●
主馬神社

・祭神は金華山号という明治天皇が乗られた名馬で、社殿内に

 木像の金華山号が安置されている。           

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主馬神社




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