・嘉祥(カショウ)3年(850年)、慈覚大師円仁により開山。その後、12世紀のはじめ
藤原清衡(フジワラキヨヒラ)によって大規模な堂塔の建設整備が行われた。「吾妻鏡
(アヅマカガミ)」によると寺堂の規模は、寺堂が40以上、禅坊が300以上であった
とされる。
・清衡の中尊寺建立の目的とは、11世紀後半の戦乱(前九年・後三年)で亡くな
った人々の霊を敵味方なく慰め、辺境とされた東北の地(みちのく)に仏国土
を建設するというもので、二代・基衡(モトヒラ)は、父の志を継ぎ、さらに規模
の大きな毛越寺の造立をすすめ、三大・秀衡(ヒデヒラ)はそれを完成させ、さら
に無量光院を建立した。
・源頼朝(ミナモトノヨリトモ)と対立し、平泉に落ち延びた源義経(ヨシツネ)を保護した秀衡
が病死すると、四代泰衡(ヤスヒラ)は頼朝の圧力に耐えかねて義経を急襲し自害
させる。後に頼朝は泰衡をも攻め、奥州藤原氏は滅亡となる。
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・表参道の月見坂は伊達藩により植樹された樹齢300〜400年の杉並木が続く。
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「 八 幡 堂 」
・天喜5年(1057年)鎮守府将軍源頼義、義家、安倍氏追討のためこの地に至り
月見坂で戦勝祈願。明治の神仏分離で八幡堂と称し阿弥陀如来尊像も合祀。
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「 弁慶堂(愛宕堂) 」
・文政10年(1827年)の建立。ご本尊は勝軍地蔵(ショウグンジゾウ)。古くは愛宕堂
と称していたが、元山麓に在った弁慶堂が荒廃したため遷し、義経・弁慶の
木造を安置し、明治以降は弁慶堂と呼ばれる。
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「 薬 師 堂 」
・明歴3年(1657年)に現在地に建立。堂内には円仁作と伝えられる薬師如来が
安置。脇仏として日光・月光菩薩、十二神将が併置されている。
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● 中尊寺本堂 ●
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・本堂の正面に建つ表門は薬医門とよばれる形式の江戸時代の門で、伊達騒動
に関わりとなった伊達兵部宗勝(ダテヒョウブムネカツ)の屋敷を移築したもの。
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・中尊寺とはこの山全体の総称であり、本寺である中尊寺と山中17の支院で
構成されている一山寺院で、中心となる本堂は明治42年(1909年)に再建され
た。ご本尊は阿弥陀如来で、本尊の両脇にある灯籠は「不滅の法灯」といわ
れる伝教大師最澄(サイチョウ)が点して以来消えたことがない天台宗の象徴的な
灯で、総本山延暦寺より分けいただき護持している。
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「 峯薬師堂(ミネヤクシドウ) 」
・もとは経塚山(金色堂の南方)の下にあったが天正年間に荒廃し、元禄2年
(1689年)に現在の地に再建。藤原末期作の本尊・薬師如来座像は、重要文
化財として宝物館讃衡蔵(サンコウゾウ)に安置されている。現在の御堂は昭和
57年の改築で、ご本尊は、薬師如来、日光・月光菩薩の三尊。
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・康永2年(1343年)に鋳造された梵鐘が納められいる。梵鐘には、建武4年
(1337年)の火災によって多くの堂塔が焼失したという内容の銘文がある。
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「 弁 財 天 堂 」
・正徳6年(1716年)に建立。本尊の弁財天十五童子は宝永2年(1705年)仙台
藩主伊達綱村(ツナムラ)公正室・千姫の寄進による。また、「金光明最勝王経
金字宝塔曼荼羅図(コンコウミョウサイショウオウキョウキンジホウトウマンダラズ)」は千姫寄進の厨
子に納められ堂内に奉安されていた。
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「 大長壽院(ダイチョウジュイン)/二階大堂 」
・嘉承2年(1107年)藤原清衡公の創建。「吾妻鏡」には本尊は9メートルの金色
の阿弥陀像を安置する大規模な阿弥陀堂とある。現在の本堂は文久3年(18
63年)再建。本尊は胎蔵界大日如来。
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「 経 蔵(キョウゾウ) 」
・建武4年(1337年)の火災で上層部を焼失。再建には創建時の古材を用いる。
堂内は平安時代の彩色文様が確認できる。ご本尊の騎師文殊菩薩(キシモンジュボ
サツ)と三方の経棚に納められていた紺紙金色一切経(コンシキンジイッサイキョウ)は宝物
館讃衡蔵(サンコウゾウ)に移され、新たな騎師文殊菩薩が安置されている。
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「 金色堂旧覆堂 」
・正応元年(1228年)に鎌倉幕府にり金色堂の修復が行われ、覆堂が建てられた
と考えられてきたが、近年の調査では金色堂建立50年ほどで簡単な覆屋根が
かけられ増改築を経て室町時代中期に現在の形になったものと見なされる。
昭和38年(1963年)新覆堂の建築にともないこの場所に移築された。
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● 金色堂・新覆堂 ●
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・国宝建造物第一号の金色堂は、中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造
物で、天治元年(1124年)に上棟(ジョウトウ)された、堂の内外に金箔を押してあ
る「皆金色(カイコンジキ)」の荘厳の阿弥陀堂である。仏像は須弥壇(シュミダン)の
上にご本尊阿弥陀如来、その前に観世音菩薩と勢至菩薩、左右に三体ずつの
地蔵菩薩が一列に並び、最前列には持国天と増長天が破邪の形相で守護して
いる。
中尊寺公式ホームページ
・木立の中に光り輝く、かつての金色堂 /芸術新潮(1986年10月号)より
● 秘仏 一字金輪佛頂尊 御開帳 ●
「 一 字 金 輪 佛 頂 尊(イチジキンリンブッチョウソン) 」
エーカークシャラ・ウシュニーシャチャクラ
・中尊寺では、世界文化遺産登録記念と東日本大震災物故者慰霊・被災地復興
祈願のため秘仏を公開する。 ◇平成24年7月17日 〜 11月11日(日)まで。
・平安時代の作で奥州藤原秀の念持佛と伝えられる。前半部のみの薄いお姿で
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背面は光背に密着し頭髪や肉身には色彩が施されて俗に「人肌
の大日如来」として厚く信仰されている。
・優美な像容の一方で、「金輪王」に擬される安全性、諸仏の徳
を結集した至高性を真言「ボロン」の一字で示現している。
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● 白山神社 ●
・現在ある能舞台は、嘉永6年(1853年)伊達藩主伊達慶邦朝臣から再建奉納さ
れたもので、平成15年国の重要文化財指定。
・仁明天皇の御代、嘉祥3年(850年)中尊寺の開祖である慈覚大師円仁が加賀
一宮の白山本宮をこの地に勧請し、自らは十一面観世音菩薩を作り本尊とし
鎮守白山権現と号された。配仏には樋爪五郎季衡(スエヒラ/清衡の子)の持仏で
運慶作の正観世音菩薩と源義経の持仏で毘沙門天が寄進安置されてありまし
たが、嘉永2年正月8日(1849年)の火災で焼失した。
● 赤堂稲荷神社 ●
○○ 毛越寺 ○○
岩手県平泉町字大沢58 鎮 座
・毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(モトヒラ)、三代秀衡(ヒデヒラ)
の時代に多くの伽藍が造営され、往時には中尊寺をしのぐほどの規模と華麗
さであったといわれる。藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が
焼失してしまうが、大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構が
ほぼ完全な状態で保存されている。
毛越寺公式ホームページ