由 緒
・七ヶ浜半島の東端、花渕浜明神崎(垂水山/タルミズヤマ)の高さ30メートルの小高い丘の上にあり
社殿の崖下には太平洋が広がっている。
・第6代孝安天皇(コウアンテンノウ・欠史八代の一人)の時代に、「ほうが崎(※1)」に鎮座があり
第34代舒明(ジョウメイ)天皇2年(630年)、初めて圭田(祭祀用として天子から賜る田)43束を
奉り神事を行い、第49代光仁(コウニン)天皇の宝亀元年(770年)、現在の鎮座地である垂水山
に移ったとされる。承和11年(844年)、霊験ありとして無位から従五位下へ神階を陞叙せ
られ、延長5年(927年)の延喜式神名帳により名神大社に列している。
・かつては、(現)鼻節神社の南東海上の沖合いに位置する大根岩礁(大根明神)にあり、貞観
(ジョウガン)11年(869年)の貞観地震(貞観三陸地震 M8.3以上 巨大津波)で海中に沈んだため
御殿山(花淵灯台に隣接してある石祠の地)に遷宮したが、当地は風が強く社殿が度々破損
したため、現社地の垂水山(タルミズヤマ)に移ったとも言われる。
・明治元年(1868年)に社殿を修復した際、境内から陸奥国府である多賀城で使用されていた
国府厨印(コクフクリヤノイン)が発見されている。
・鼻節神社は「枕草子」にも、「はなふちの社」として記されている。
・例祭日は旧9月28日。
※1 ほうが崎・・・吼坊ヶ崎(コウボウガサキ)、花渕灯台の地名=保ヶ崎(ホガサキ)、吠崎。???
御 祭 神
・鹽竈社縁起では、鹽竈六所明神の猿田彦神(サルタヒコノカミ)、事勝国勝神(事勝国勝長狭神/コトカツ
クニカツナガサノカミ)、塩土老翁神(シオツジオジノカミ)、岐神(クナドノカミ)、興玉神(オキタマノカミ)、太田神の
同体異名の6座であるとする。日本風土記では多力雄神、新撰陸奥風土記では、多力雄神
(アメノタヂカラオノカミ/天手力男神)、猿田彦神、和多都美神(オオワタツミノカミ/大綿津見神)の三座であ
るとしている。
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● 本 殿 ●
● 境 内 社 ●
・境内奥には八幡社があり、右手前には2つ(東西)の石祠の大根神社遥拝所がある。大根神
社は、南東海上の沖合い海底にある大根岩岩礁(南北2.5km、東西2.5km)を境内に、「西ノ
宮」と「東ノ宮」の2社が2町(約220m)を隔ててあるととする神社で、祭神は猿田彦命、
大海津見神、住吉神で、元・鼻節神社、また、鼻節神社の奥の院といわれる。
「 Crazy Shrine Maidens 」