延喜式内社 桃生郡

 日 高 見ひ だか み 神 社 

日高見神社
 宮城県石巻市桃生町太田字拾貫1-73 鎮 座 地図




日高見神社鳥居



日高見神社


●  拝 殿  ●
日高見神社社殿



日高見神社



日高見神社


 御 祭 神 


○○○ 国常立大神(クニトコタチノオオカミ) ○○○

○○○ 地蔵菩薩(社殿左境内社)、虚空蔵菩薩(社殿右境内社) ○○○



    ・天照大神(アマテラスオオミカミ) ・日本武尊(ヤマトタケルノミコト) ・武内宿弥(タケノウチノスクネ) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  例  祭  4月19日、   9月19日。
 御 由 緒  ・「続(シュク)日本記」によれば、宝亀(ホウキ)11年(780年)「百済王俊哲(クダラオウシュンテツ)等が  賊に囲まれ、桃生(モノオ/モモノフ)・白河(シラカワ)等の郡神(グンノカミ)十一の社に祈る」・・・と  いうのがこの神社の初見(ショケン)で、桓武天皇の延暦21年(802年)正五位上勲五等に叙  し、続いて「三代実録」に、貞観(ジョウガン)元年(859年)・「陸奥国日高見水神(ムツコクヒ  ダカミスイジン)に従四位下(ジュウヨンイゲ)に授く」とあるので、住古は北上川の河神ではな  かったかと、旧「桃生村誌」は記している。                   ・後冷泉(ゴレイセン)天皇の康平(コウヘイチ)年中(1058〜1065年)、源義家(ミナモトノヨシイエ)が安部貞  任(アベノサダトウ)討伐(前九年の役)の折、神殿を造営して武内宿弥を併祀(ヘイキ)し、祭田  を寄進した。社殿は、永正(エイショウ)8年(1511年)に山内首藤が、葛西宗清・重清との永  正の戦いの折、兵火に罹(カカ)り焼失し、宝永年間(1704〜1711年)に再建された。現在  の社殿は、拝殿・弊社・本殿ともに昭和45年に改築された神明造りである。     ・延喜式内社奥州百座中、桃生郡六座の一つとして社格を誇り、古くから遠近の信仰も  集めてきた日高見神社は、この百社中所在地も明確で郡内六座の筆頭にある。   ・桃生郡の原音は、アイヌでモムヌフという平丘(草原の丘)で、桃生の名が史書に現  れるのは、宝亀2年(771年)11月である。                    
    ・・・ 日高見神社を一年ぶりに訪ねることになりました。                2004年8月、Fさん達と参拝させていただきましたことが              つい昨日のように思い出されます。     ・・・         ・宇宙の大いなる意志、大調和に基づく天命もちて、とってもすばらしい      日高見神社の大神 大神 大神、朝日の豊栄昇るごとく、高き尊き御神威      光明、さん然と輝きませ                          ・宇宙の大いなる意志、大調和に基づく天命もちて、とってもありがたい      日高見神社の大神 大神 大神、広き厚き恩頼・御仏徳を、子孫の八十続      きに至るまで、堅磐に常磐にかかぶらしめ給え             


●  本 殿  ●
日高見神社本殿



日高見神社本殿





● 境 内 社 ●
拝殿と境内社


境内社
社殿右側の境内社



拝殿と境内社


境内社
社殿左側の境内社



日高見神社
・八幡神社と刻まれた石碑




○ 御 神 木 ○
神木


・御神木とされるこの欅は推定樹齢900年〜1000年と言われ、源義家が 

 阿倍貞任討伐の際、義家が身を隠して敵の追撃をのがれたと伝えられ

 るもので、身隠しの木、除難の木、厄除けの木と言われています。 



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