御 由 緒
・石都々古和気神社は石川町の中央の通称八幡山に鎮座し、境内及び境内の森は三芦
城の跡地として、県及び町の史跡に指定されている。また、山岳信仰の場として山
そのものと、参道両側に点在する磐境(巨石)が信仰の対象として、古代の人々に崇
敬されていたと思われる。
・石都々古和気神社が始めて文献上にみえるのは、延喜式年間(西暦901年)に全国の
神社を調査した時である。その時に確認された神社を延喜式内社と呼び、石都々古
和気神社もその一社に数えられている。
・京都の住人、初代・福田安芸守源有光(初代石川有光)は、永承6年(1052年)に父の
頼遠と共に源頼義、源義家に従って奥州の豪族安倍氏追討に加わり、その功により
奥州仙道のこの地を賜った。康平6年(1063年)に源有光はこの地に移り住み、名を
石川有光と改めた。石川有光は、四方を山々に囲まれ、阿武隈川の支流今出川が東
より南を巡り、磐境(巨石)が重なる自然の要害となっているこの八幡山に三芦城を
築城した。治暦2年(1066年)には、石川有光は源氏の氏神である京都石清水八幡宮
の御分霊(大国主命、誉田別命)を当社に合祀した。
御 祭 神
○味秬高彦根命(アジスタカヒコネノミコト)、 ○大 国 主 命、 ○誉 田 別 命
※神名帳考証では、磐 筒 男 神(イワツツオノカミ)
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● 本 殿 ●
● 境 内 社 ●
・本殿左手には祖霊社、多賀神社、諏訪神社の三社がある。