山城国一ノ宮 延喜式名神大社 賀茂別雷神社(上賀茂神社)
京都市北区上賀茂本山339 鎮 座
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● 楼 門 ●
御 由 緒 ・神代の昔、神社の北北西にある秀峰・神山(コウヤマ)に御降臨になり、天武天皇の御代 (678年)、現在の社殿の基が造営された。本殿御鎮座以後も広く庶民の信仰を集め 皇室の御崇敬は歴代にわたり、行幸啓は枚挙にいとまあらず、国家の重大時には必 ず奉幣、御祈願があった。嵯峨天皇は御杖代(ミツエシロ)として皇女有智子(ウチコ)内親王 を斎王(サイオウ)と定め、その制度は以来35代、約400年続いた。 ・延喜式では名神大社に列し、後に山城国一ノ宮として尊崇された。また、摂関の賀 茂詣、武家の社参が相次ぎ、特に徳川家は家紋の三ツ葉葵が、当神社の神紋二葉葵 に由来するところから、特別の信仰を寄せた。明治以降終戦まで、官幣大社として 伊勢神宮に次ぐ、全国神社の筆頭に位した。 御 祭 神 ○ 賀 茂 別 雷 大 神 (カモワケイカヅチノオオカミ) ○ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
● 拝 殿 ●