三 迫 総 鎮 守

 白 山はくさん 神 社 

白山神社
 宮城県栗原市金成小迫山神77 鎮 座 地図 

 問い合わせ:楽峯山・勝大寺 TEL 0228-42-1823

       「奥州三十三観音 第二十二番」 



白山神社

・境内にある観音堂と白山神社へ上がる鳥居が観える。

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観音堂



● 観 音 堂 ●
観音堂


 御 由 緒 


・白山神社の創祀は、第45代聖武天皇(ショウムテンノウ)の神亀元年(724年/陸奥国に多 

 賀城が設置)と伝わる。第50代桓武天皇(カンムテンノウ)の延暦10年(791年平安)、大 

 伴弟麻呂(オオトモノオトマロ)を補佐する征東副使に任じられた坂上田村麻呂は、延暦 

 12年(793年)に軍を進発させた砌り、本社前に屯営して勝利を祈る。後の大同 

 年中、征夷大将軍・坂上田村麻呂により観音堂が創建され三迫総鎮守となる。 

・第82代後鳥羽天皇(ゴトバテンノウ)の文治5年(1089年)閏4月28日、源頼朝(ヨリトモ)が 

 藤原泰衡(ヤスヒラ)を征伐の途次、白山神社に戦勝を祈願、建久元年(1190年)9月 

 勝利し、9月13日報賽の祭事をする。この祭事は「小迫祭」として現在も伝承 

 されている。                             

・伊達家の崇敬篤く、文化9年(1812年)10月、中村日向義景(景貞)に命じ祭祀料 

 を共進し奉幣の式を挙げ、毎年3月3日例祭には別当・勝大寺(ショウダイジ)の修徒 

 により奉幣することは明治の初めまで変わることはなかった。       

・明治7年(1874年)村社に列格、大正9年(1920年)幣帛供進社に指定された。  

・定例祭は4月第1日曜日、「小迫祭(オバサママツリ)」。            


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観音堂



● 白 山 神 社 ●
白山神社



● 拝 殿 ●
白山神社



白山神社


 御 祭 神 


○ 白山比淘蜷_ (シラヤマヒメノオオカミ = 菊理媛大神 / ククリヒメノオオカミ )

○ 伊 弉 諾 神 (イザナギノカミ)、  ○ 伊 弉 冉 神 (イザナミノカミ)


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[ 白山比盗_社公式ホームページより ]


・白山比盗_社は、白山比淘蜷_(=菊理媛神)・伊弉諾神・伊弉冉神の三柱を

 ご祭神として、遠く神代の昔より霊峰白山を神体山と仰ぎ祭ってきました。

 その創立は今から2000年以上も昔の祟神天皇の時代と伝えられ、「延喜式神

 名帳」にも名神大社として記されています。古来「下白山(しもしらやま)」

 と呼ばれた本社は、霊峰白山の「まつりのにわ(祭事を行なう場所)」として

 設けられた白山本宮で、「加賀一ノ宮」として崇敬されています。    



   
 HP内リンク「 白山比盗_社 」へ  
● 社 殿 ●
白山神社



白山神社




 小 迫 の 延 年おばさまのえんねん 〜国指定重要無形文化財〜 

・小迫の延年祭りは、三迫総鎮守の社として崇拝されている白山神社の例大祭

 で、春の農耕期を前に豊作を願って行われてきました。この延年とは、平安

 から室町にかけて、僧侶や稚児たちが寺院で盛んに行っていた遊演舞台の 

 総称のひとつです。現在も継承されている有名なものに岩手県平泉の「毛越

 寺の延年」があります。小迫の延年も歴史的、芸能史的価値が高く国の重要

 無形民族文化財に指定されています。                 


小迫の延年
 由 来  ・鎌倉幕府の誕生直前、源頼朝は奥州藤原氏を討つ。敵の本陣地平泉を前に   旅陣がここ小迫地区の白山宮の山に置かれた。戦勝を祈願する頼朝の願い   はかなえられ、帰路ふたたび宮に参り勝利を報告する。併せて、御礼として  源平合戦の「那須与一の扇の的射」を奉納する。              一方、白山神社には付属する別当寺として楽峯山勝大寺が置かれていて、こ  こには「延年の舞」が伝わっていた。以後、両者は旧3月3日を例祭日とし  て、今に続く小迫祭(延年)に発展したと伝えられている。         ☆☆☆ ◇祭典は旧3月3日でしたが、現在は4月第1日曜日に実施されています。 ◇問い合わせ:金成総合支所 / TEL 0228-42-1111            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






神社参拝の記録




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