「 日和山より 」

・東日本大震災から6ヶ月、延喜式内社・鹿島御児神社が鎮座する日和山より望む。   

 2011.3.11 14:46分、日和大橋に達する大津波が押し寄せ、一瞬のうちに全てを押し流し

 そして海底に引きずり込んでいった。                       


日和山より
・これより東方25kmの太平洋上に金華山が浮かび、そして三陸沖にM9.0の震源がある。  
日和山より
・中瀬には「石ノ森漫画館」が見える。延喜式内社の大島神社は無事だった。拝幣志神社と  箱崎八幡宮の社殿は残っていた。                         


地図




延喜式内名神大社 牡鹿郡

 鹿 島 御 児かしまみこ 神 社 

鹿島御児神社 鳥居
 宮城県石巻市日和が丘2丁目1-10 鎮座 地図


 鹿島御児神社公式ホームページ

鹿島御児神社

・日和山(ヒヨリヤマ)は標高60.4メートル、眼下に見える北上川の河口は仙台藩の買米制度によって 

 集められた米の積出し港として千石船の出入りで賑わい、出航に都合によい風向きや潮の

 流れなど、日和を見る場所であることからその名がついたとされる。         


鹿島御児神社

・鹿島御児神社は、延喜式内社における鹿島神社の最北端にあたり、平安時代に北進をつづ

 ける大和朝廷軍の最後の集結地であった旧北上川の河口、石巻の日和山の頂に鎮座する。


● 拝 殿 ●
鹿島御児神社

 御 由 緒 


・創祀は、宝亀11年(780年)12月、陸奥鎮守副将軍の百済王俊哲(クダラノコニキシ・シュンテツ)の奏上の

 記録以前と考えられ、歴代国司・領主から崇敬され、藤原秀衡(フジワラヒデヒラ)・泰衡(ヤスヒラ) 

 により社領寄進や社殿修築、初代の奥州総奉行・葛西清重(カサイキヨシゲ)が宝物を寄進してい 

 る。永仁年中(1294年)葛西清宗(伊豆守清宗)が日和山城(石巻城)を築城すると、神社を

 その南麓に遷座する。戦国時代末期、葛西氏が滅び一時荒廃するが、後に仙台藩仙台藩の

 海上安全の祈祷所ともなり、厚く崇敬された。享保20年(1735年)旧社地に遷座。明治7年

 村社、大正10年郷社、昭和10年県社に列格する。                  


 御 祭 神 


○ 武 甕 槌 命(タケミカヅチノミコト)、  ○ 鹿 島 天 足 別 命(カシマアマタリワケノミコト) 


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社号額



● 境内社 ●
愛宕神社、稲荷社&八幡神社

・境内社:左の御社は愛宕神社、 左側に稲荷社を右側に八幡神社を一社に祭る御社。



● 境内社 天満宮 ●
天満宮



雪紅葉




神社参拝の記録




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