宮城県遠田郡涌谷町涌谷字黄金宮前23 鎮座
● 拝 殿 ●
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御 由 緒
・聖武天皇の天平21年(749年)、「山ノ神の神主、小田郡、日下部深淵は外少初位下に叙さ
れた(産金関係者に位が授けられた)」ことが「続日本紀」にあり、社名が山ノ神かは不明
だが、地方的な神社として・749年以前に存在していたと思われる。後に、創始年749年、
天平神護年間まで(767年)に、現在の黄金山神社の場所に瓦葺の仏堂が造られた。神社は
黄金山神社と名を改め、延喜式に小座として記載された。
・天正18年(1590年)野火のため焼失、文禄2年(1593年)再建、その後荒廃し、礎石のみ存し
空しく「黄金宮」の名だけのこっていた。
・江戸時代には天平の産金地を牡鹿郡(石巻市)の金華山とするのが通説であり、金華山黄金
山神社が信仰を集めていた。文化7年(1810年)伊勢白子(三重県鈴鹿市)の国学者:沖安海
(オキヤスミ)が『陸奥国小田郡黄金山神社考』で、金の産出に由来する神社は遠田郡涌谷村の
黄金山神社であると唱え、また、神社が荒廃しているの思い再興の途をひらき、天保6年
(1835年)に拝殿が建てられ再興された。明治5年(1872年)県社に列し、明治42年(1909年)
に現在の社殿が建てられた。
・延喜式内社の黄金山神社については、牡鹿郡(石巻市鮎川)の金華山とする説もあったが、
昭和32年(1957年)、東北大学による発掘調査で、奈良時代の建築物跡と屋根瓦が検出され
地質調査によっても、涌谷町の土質に純度の高い良質の砂金が含有されることが判明した
ことから小田郡の産金地が当地であることが確実になった。昭和34年(1959年)、附近一帯
が「産金遺跡」として県指定の史跡となり、昭和42年(1967年)、「黄金山産金遺跡」とし
て国の史跡に指定された。
● 日本最初の産金 ●
・遠田郡涌谷町は日本で初めて黄金を産出した場所である。740年代、平城京で聖武天皇が
大仏塗金のための黄金を切望していた時、陸奥国守・百済王敬福(クダラノコニキシキョウフク/陸奥按
察使持節征東将軍)が小田郡で産出した黄金900両(約13kg)を貢上した。これにより東大寺
大仏は無事完成し、陸奥国は3年間、小田郡は永年免税とされた。
・黄金山神社の境内地に黄金洗沢、黄金洗井などがあり、日本最初の出金地として、昭和42
年(1967年)、「 黄金山産金遺跡 」として国の史跡指定をうけた。
御 祭 神
○天 照 皇 大 神、 ○金 山 毘 古 神(カナヤマビコノカミ)、 ○猿 田 彦 命(サルタヒコノミコト)
○軻 遇 土 神(カグツチノカミ)、 ○月 読 命(ツキヨミノミコト)
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● 本 殿 ●