御 由 緒
・創建の年代は不詳。雄略天皇(ユウリャクテンノウ)21年(477年)に京都・宮津の籠神社(コノジンジャ)か
ら宇賀御魂大神(ウカノミタマノオオカミ)を勧請して奥宮へ祀り、里宮に大宜津比売神(オオゲツヒメノカミ)
と事代主神(コトシロヌシノカミ)を配祀したとしている。また、景行天皇(ケイコウテンノウ)40年(110年)
東征中の日本武尊が、天照大神、置瀬命、彦火々出見尊、天常立尊、吾勝尊、国狭槌命を
勧請して創建したとする伝承もある。駒形神社の奥宮は、元は駒ヶ岳南方の大日岳山頂に
あって、近世になり駒ヶ岳山頂に遷座した。駒ヶ岳は仙台藩と盛岡藩の境界であり、20年
ごとに両藩が費用を出しあい社殿を改修していたという。また、奥宮は参拝が困難であり
女人禁制であったことから、仙台と盛岡の両藩は、それぞれに麓に里宮を作り、奥宮から
神霊を勧請して祀っていた。仙台藩の里宮は金ヶ崎町西根字雛子沢にあり、盛岡藩の里宮
は和賀郡岩崎村(北上市)にある。
・現在の駒形神社の地には、元は鹽竈神社が鎮座していた。鹽竈神社は、安倍貞任征伐のた
め源頼義、義家親子が宮城の鹽竈神社に祈願し、凱旋の後に鹽竈神社より当地に勧請して
創建したものである。明治4年(1234年)駒形神社が国幣小社に列せられる際、奥宮と里宮
とも参拝に不便であるとし、当時の水沢県の県庁に近い鹽竈神社の本殿(現在の駒形神社
本殿)を仮遥拝所とし、明治7年に社殿を改修して正式な遥拝所とした。明治36年、奥宮
の神霊を遥拝所に遷座し、元は鹽竈神社であったもの一切を駒形神社に編入した。また
鹽竈神社は境内別宮であった春日神社に合祀し、春日神社の社名を鹽竈神社に改めた。
御 祭 神
・天照大御神(アマテラスオオミカミ)、・天之常立尊(アメノトコタチノミコト)、・国之狭槌尊(クニノサタチノミコト)
・吾 勝 尊(アカツノミコト)、 ・置 瀬 尊(オキセノミコト)、 ・彦火火出見尊(ヒコホノミコト)
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● 本 殿 ●
● 山 神 社 ●
御 祭 神
・大 山 祗 神(オオヤマヅミノカミ)、 ・木 花 開 耶 姫 神(コノハナノサクヤヒメノカミ)
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● 別宮 鹽竈神社 ●
御 祭 神
・武壅槌神(タケミカヅチノカミ)、 ・経津主神(フツヌシノカミ)、 ・塩土老翁神(シオツチオジノカミ)
・天児屋根神(アメノコヤネノカミ)、 ・比売神(ヒメノカミ)、 ・藤原鎌足朝臣(フジワラノカマタリノアソン)
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● 水沢招魂社 ●
・水沢公園に設立された、日清・日露戦争、支那・満州事変、大東亜戦争で戦死された郷土
出身の英霊をお祀りしている招魂社を、昭和35年に駒形神社境内に遷座した。