勅宣日宮・駒形根神社の由緒
・古来より日宮(ヒルミヤ)、大日社、駒形社、俗にお駒様とも称される。社記によると日本武尊
が東征の折、天照大神、ほか五柱の神々を駒形嶽(栗駒山の古名)に斎き祀り、東国鎮護の
祈請したのが創建とされる。その後、坂上田村麻呂が奥羽鎮定を祈願し四大門(東は一関
三島、西は花山、南は尾松大鳥、北は秋田仙北)を建て、駒形根大明神の額を奉献した。
・多治比真人嶋(タジヒマヒト シマ)、また、奥州藤原氏の崇敬も篤く社殿の造営や祭田の寄進等が
あった。奥州討伐には源頼朝、頼家等が奥州下向の際に当社に祈願した。
御 祭 神
・オオヒルメノミコト(※1)、 ・天常立尊(アメノトコタチノミコト)、 ・国常立尊(クニトコタチノミコト)
・吾勝尊(アカツノミコト ※2)、 ・天津彦番迩迩藝尊(アマツヒコホノニニギノミコト ※3)
・神日本磐余彦火火出見尊(カムヤマトイワレヒコホホデミノミコト ※4)
[ 合 祀 ]
・素戔嗚尊、・大山祇尊(オオヤマツミノミコト)、・保食尊(ウケモチノミコト)、・正哉吾勝速日命(※5)
・軻遇突智尊(カグツチノミコト)、・天櫛明玉命(アメノクシアカルタマノミコト ※6)
・天手力男尊(アメノタヂカラオノミコト)、・木花咲耶姫命(コノハナノサクヤヒメノミコト)
・譽田別尊(ホムタワケノミコト/応神天皇)、 ・日本武尊
※1、オオヒルメノミコト・・・
※2、古事記では正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(アサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)、日本書紀
では天之忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)。
※3、古事記では天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(アメニギシクニニギシアマツヒ
コヒコホノニニギノミコト)、邇邇藝尊。日本書紀では、瓊々杵尊(ニニギノミコト)。
※4、神武天皇のこと。古事記では神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)、日本書
紀では神日本磐余彦火火出見天皇(カムヤマトイハレビコホホデミノスメラミコト)。
※5、先代旧事本紀では正哉吾勝速日命で、(※1)と同神。
※6、古事記では玉祖命(タマオヤノミコト)、☆天明玉命、櫛明玉命、天櫛明玉命(アメノクシア
カルタマノミコト)と読むのか?=玉造部(タマツクリベ)の祖。古語拾遺によれば、天照
大神の岩戸隠れのとき、八坂瓊曲玉(ヤサカニノマガタマ)を作ったとされる。
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● 本 殿 ●
● 境内社・秋葉神社(開羽神社) ●
● 護国神社(忠魂社) / 阿弖流意社) ●
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