御 由 緒
・狐松神社由来記によれば、神護景雲(ジンゴケイウン)3年(769年)、荒雄川辺に神霊を
遷座し、児松神社と称された。延暦8年(789年)、坂上田村麻呂が東征の際の神力
擁護の功により、社地・百間四方を寄進された。文治6年(1190年)に新田郡が廃
され夜烏邑(ヨガラスムラ)となる。康永2(1343年)、大崎家の家臣・新田氏が夜烏邑に
居城を構え、狐松神霊を邑上に遷座して鹿島大明神と称して、氏神として尊信し
た。安永2年(1773年)の風土記御用書出には、夜烏・鹿嶋宮と記載されているの
で、室町時代から江戸時代までは、鹿島様と称されていたの思われる。明治に至
り社号を子松神社に復し、明治5年には村社に列せらる。明治39年、夜烏の熊野
神社と石神社、松郷の寶隆神社を合祀する。明治40年、神饌幣帛料供進社に指定
された。
御 祭 神
○ 武 甕 槌 尊 (タケミカヅチノミコト) ○
・天照皇大神、 ・伊弉那岐命、 ・大国主命
・事代主命、 ・家津御子命、 ・石 神、 ・菅原道真
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● 本 殿 ●
● 境内・愛宕社 ●
● 神 輿 殿 ●