武蔵國一之宮・旧官幣大社・延喜式内名神大社


 氷 川ひかわ 神 社 

氷川神社・楼門

 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407 鎮 座 地図



舞殿



● 拝 殿 ●
拝殿と奥に見える社殿

 御 由 緒 


・氷川神社の創建は諸説あり、社伝では今から二千有余年前、第5代孝昭天皇(コウショウテンノウ)

 の御代3年4月未の日の創立とされる。また、第12代景行天皇(ケイコウテンノウ)の御代に日本 

 武尊(ヤナトタケルノミコト)が東夷鎮圧の折に須佐之男命(スサノオノミコト)を勧請したとする。別伝では 

 第13代成務天皇(セイムテンノウ)の御代、出雲族の兄多毛比命(エタモヒノミコト)が朝命により武蔵国造

 (ムサシノクニミヤツコ:夭邪志国造)となり、出雲国の簸川(ヒカワ:肥川、斐伊川)の川上に鎮座する

 杵築大社(キズキノオオヤシロ=出雲大社)を勧請し奉崇したのが始まりで、氷川の神号はその川 

 の名前にちなんで名付けられたとする。後の第45代聖武天皇(ショウムテンノウ)の御代になると 

 「武蔵国一の宮」と定められ、第60代醍醐天皇(ダイゴテンノウ)の御代に制定された延喜式神

 名帳には名神大社として、月次・新嘗の祭りに案上の官幣に預り、また臨時祭にも奉幣 

 に預っている。武家時代になってからは鎌倉、足利、徳川の各将軍家等相継いで尊仰し 

 奉行に命じて社殿を造営し社領を寄進する等、祭祀も厳重に行われてた。明治元年には 

 武蔵国の鎮守・勅祭の社となり、明治4年には官幣大社に列せられる。        



 御 祭 神 


○ 須 佐 之 男 命 (スサノオノミコト)、   ○ 大 己 貴 命 (オオナムチノミコト) 

○ 奇 稲 田 姫 命 (クシナダヒメ:櫛名田比売)            



・祭神については江戸時代までは、男躰社である氷川神社に須佐之男命を、女躰社である 

 氷川女体神社(緑区宮本2-17-1)に奇稲田姫命を、奥の簸王子社(ヒオウジシャ)である中山神社

 (見沼区中川145-65)に大己貴命というように、別々の社殿に祭っていたが、明治維新の 

 神仏分離で氷川女体神社が衰退し、氷川神社が政府の保護で三社を統合して、今日では 

 同じ社殿に祭られている。                            


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氷川神社・境内



● 門客人神社と御嶽神社 ●
門客人神社と御嶽神社



門客人神社



● 宗 像 神 社 ●
宗像神社



宗像神社




神社参拝の記録




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