交 通 の 案 内 

陸奥総社宮

◆ 鎮 座 地 : 宮城県多賀城市市川字奏社1番地 地図       

◆ 問 合 せ : 022−368−7272 陸奥総社宮社務所    

◆ 交   通 : JR東北本線「 国府多賀城駅 」より ⇒⇒ 徒歩15分

        JR東北本線「 塩 釜 駅 」より   ⇒⇒ 車で 7分

        JR仙山線 「 本 塩 釜 駅 」より  ⇒⇒ 車で13分

        三陸自動車道「 利府塩釜I.C 」より⇒⇒ 車で 7分
 
       「 志波彦神社・鹽竈神社 」より  ⇒⇒ 車で14分



塩竈神社

 志波彦神社・鹽竈神社:宮城県塩竃市一森山1-1  ⇒⇒ 総社宮から車で14分。   

・陸奥国一之宮の志波彦神社・鹽竈神社は、平安時代の初期に編纂された「弘仁式」にも厚

 い祭祀料を授かっていたと記され、奈良時代の国府と鎮守府を兼ねた多賀城の精神的支え

 となって信仰されたと考えられます。                       


多賀城政庁跡

 多賀城政庁跡:宮城県多賀城市市川城前地内   →→ 総社宮から徒歩10分。   

・多賀城は724年、奈良朝廷により陸奥国府と鎮守府が置かれ、その後約200年東北の政治の

 中心地でした。多賀城政庁跡は古代多賀城の中枢部分で、約100メートル四方の敷地内の中央 

 に正殿、東西に脇殿が配置されていました。                    

・多賀城政庁跡は、奈良県の平城京跡、福岡県の大宰府跡と共に日本三大史跡の一つで、国

 の特別史跡となっています。                           


多賀城碑

 多賀城碑/壺の碑:宮城県多賀城市高崎字坂下   →→ 総社宮から徒歩20分。   

・平成10年6月30日、国の重要文化財に指定された多賀城碑は多賀城跡の一角にあり、創建

 年代や、後年の偽作か否かについて論争されてきたが、現在は碑文の通りに天平宝字6年

 (762年)の建立と判断されている。                         

・芭蕉が訪ねた元禄2年(1689年)当時は野ざらしの状態で、碑面が文字が読めぬほど苔で覆

 われていたことが「奥の細道」から知られます。                  


多賀城廃寺・観世音寺

 多賀城廃寺跡/観音寺:宮城県多賀城市高崎字坂下 ⇒⇒ 総社宮から車で11分。   
 東北歴史博物館:宮城県多賀城市高崎1-22-1    ⇒⇒ 総社宮から車で10分。   

・多賀城廃寺跡は、国府多賀城から南東約1kmの高崎地区の低丘陵に立地しています。この 

 寺院は古代に建設されたものですが、当時の文献には何ら記されてなく本来の名称はわか

 りませんが、九州大宰府の附属寺院である観世音寺と類似しています。        


五大堂

 松島瑞巌寺・五大堂:宮城県宮城郡松島町松島字町内91 ⇒⇒ 総社宮から車で28分。 

・国宝瑞巌寺は日本三景・松島にある寺院で、創建は平安時代、慈覚大師円仁とされます。

 宗派と寺号は変遷し現在は臨済宗妙心寺派瑞巌寺で、伊達政宗の菩提寺でもあります。 

・五大堂は大同2年(807年)、坂上田村麻呂が毘沙門堂を建立したのが始まりとされます。 

 その後、慈覚大師円仁が延福寺(瑞巌寺の前身)を創建した際に仏堂を建立、大聖不動明王

 を中央に、東方に降三世明王、西方に大威徳明王、南方に軍荼利明王、北方に金剛夜叉明

 王の五大明王像を安置したことにより、五大堂と呼ばれるようになった。現在の五大堂は

 慶長9年(1604年)に伊達政宗が瑞巌寺再興に先立って再建した。国の重要文化財に指定。


青麻神社

 青麻神社:宮城県仙台市宮城野区岩切青麻沢32  ⇒⇒ 総社宮から車で26分。   

・各地の青麻神社の総本宮。仁寿2年(852年)現社家の遠祖が山城国(京都府)よりこの地に 

 日月星の三光神である天照大御神・天之御中主神・月読神の三神を、清水湧く山峡の岩窟

 中に奉祀したのが創始と伝わる。                         



地図

方位と距離




Home


Copyright(C)2012 Mutsu-sousya no miya . All rights rserved.

inserted by FC2 system