● 拝 殿 ●
御 由 緒
・遠い神代の昔、大己貴神(オオナムチノカミ/大国主神)が、自らの幸魂(サキミタマ)・奇魂(クシミタマ)を三輪
山にお鎮めになり、大物主神(オオモノヌシノカミ・・・ヤマトノオオモノヌシクシミカタマノミコト)の御名をもってお祭り
されたのがはじまりとされ、それ故に本殿は設けず、拝殿の奥にある三ツ鳥居(三輪鳥居)
を通し三輪山を拝するという、原初の神祭りの様が伝えられており、我が国最古の神社の
一つとされています。 〜 大神神社HPより 〜
御 祭 神
○大物主大神 (オオモノヌシノオオカミ)、 ○大己貴神(オオナムチノカミ)、 ○少彦名神(スクナヒコノノカミ)
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大神神社摂社 狭 井 神 社
・狭井神社(サイジンジャ/狭井坐大神荒魂神社)は延喜式内社で、古くより華鎮社(ハナシヅメノヤシロ)
とも称され、病気を鎮める神としての信仰が厚く、境内にはご神水の湧き出る薬井戸があ
る。また、三輪山への入山(登山)は許可を得て狭井神社の境内からとなる。
御 祭 神
○大神荒魂神(オオミワノアラミタマノカミ)、 ○大物主神(オオモノヌシノカミ)、 ○事代主神(コトシロヌシノカミ)
○勢夜多々良姫命(セヤタタラヒメノミコト)、○媛蹈鞴五十鈴姫命(ヒメタタライスズヒメノミコト)
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大神神社摂社 檜 原 神 社
・第10代崇神天皇(スジンテンノウ)の御代までは、天照大御神は宮中で天皇自らの手によって祭
られていたが、国内に疫病が広まり、また、反乱なども起こったため、皇女・豊鍬入姫
命(トヨスキイリヒメノミコト)に大御神の御霊代を託して、大和の笠縫(倭笠縫邑・ヤマトカサヌイノムラ)に初
めてお祭りされたという。この大和笠縫の霊地が、元伊勢と今に伝えられる今日の桧原
神社の社地である。豊鍬入姫命は初代の御杖代として33年間仕えた。その後、丹波や紀
伊などを巡行し、老年になり倭姫命(ヤマトヒメノミコト)に御杖代役を渡した。倭姫命も、天照
大御神を祭るにふさわしい土地を求め、ついに、現在の鎮座地にお祭りしたとされる。
今日ではこういった遷宮伝説は史実とはみられていないが、元伊勢地には太陽祭祀場が
あったらしいことが明らかになってきている。
・昭和40年、三ツ鳥居を建造し瑞垣を設け古儀に復し、昭和61年、豊鍬入姫命を祀る豊鍬
入姫宮が鎮斎された。
大神神社摂社 綱 越 神 社
・綱越神社(ツナコシジンジャ)は、大神神社の参道入口に位置し、祓戸の大神を祭る延喜式内社
で、夏越の社、また「御祓社・おんばらしや」とも呼ばれ、旧六月晦日の大祓・「夏越
祓」が厳粛に行われる古社として広く世に知られている。社名の綱越については、夏越
から転訛したものといわれる。 ・綱越神社の境内には、磐座も祭られている。
・三輪山は、高さ467m・周囲16kmの、奈良盆地をめぐる青垣山の中でもひときわ形の整
った円錐形の山で、古来より神の鎮まりますお山として、「古事記」や「日本書紀」に
は御諸山(ミモロヤマ)、美和山(ミワヤマ)、三諸岳(ミモロノオカ)と記されている。