御 由 緒
・神社の創祀は第12代景行天皇(ケイコウテンノウ)の御代と伝えられている。元来、鳥海山には山名が
無く、活火山の山そのものが大物忌神と称されていた。物忌とは斎戒にして不吉不浄を忌む
と言うことであり、山の爆発は山神が夷乱凶変を忌み嫌って予め発生するものだと考え、噴
火などの異変が起こると朝廷から奉幣があり鎮祭が行われた。これがこの山神を大物忌神と
称した所以であると「名勝鳥海山」では考察している。本社は鳥海山(標高2236m)山頂に鎮
座し、麓に「口之宮」と呼ばれる里宮が吹浦と蕨岡の二ヶ所に鎮座する。
・大物忌神社は貞観(ジョウガン)4年(862年)11月官社に列し、延長5年(927年)には、延喜式神名
帳に名神大社として吹浦鎮座の月山神社と共に収載されている。同式の主税式においても祭
祀料2,000束を国家から受けている。延喜主税式によれば、当時国家の正税から祭祀料を受
けていたのは陸奥国の鹽竈神社、伊豆国の三島社、淡路国の大和大国魂社と他に3社しかな
いことから、国家から特別の扱いを受けていたことが覗える。また、大物忌神社は、出羽国
一之宮となって朝野の崇敬を集めた。特に歴代天皇の崇敬篤く、八幡太郎義家(源義家)の戦
勝祈願、北畠顕信(キタバタケアキノブ)の土地寄進、鎌倉幕府や庄内藩主の社殿の造修など時々の
武将にも篤く崇敬されてきました。
・中世、神仏混沌以来、鳥海山大権現として社僧の奉仕するところとなったが、明治3年神仏
分離に際し旧に復して大物忌神社となり、明治4年5月吹浦口之宮が国幣中社に列したが、
同13年7月に山頂本社を国幣中社に改め、同14年に吹浦・蕨岡の社殿を口之宮と称え、隔年
官祭執行の制を定めた。昭和33年に三社を総称して現社号となる。鳥海山山頂の御本殿は、
伊勢の神宮と同じく、20年毎に建て替える式年造営の制になっている。現在の御本殿は平成
9年に造営されました。
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御 祭 神
○ 大 物 忌 大 神 (オオモノイミノオオカミ) ○
・社伝には倉稲魂命(ウガノミタマノミコト)、豊受大神(トヨウケノオオカミ)を奉祀とある。
・拝殿の後方には二棟並んだ本殿がある。向かって左側本殿に月山大神さまを、右側本殿には
大物忌大神さまを祭り、出羽国一宮両所大菩薩とも称されていた。
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● 本 殿 ●