延喜式内名神大社 出羽国飽海郡 出羽国一之宮

 鳥 海 山 大 物 忌ちょうかいざんおおものいみ 神 社 

< 蕨 岡 口 之 宮 >
鳥海山 大物忌神社
 山形県飽海郡遊佐町大字上蕨岡(ワラビオカ)字松ヶ岡51 鎮 座 地図



鳥居



● 社 殿 ●
社殿

 御 由 緒 


・社伝によれば第12代景行天皇(ケイコウテンノウ)の御代当国に現われ、第29代欽明天皇(キンメイテンノウ)の

 御宇25年(564年/・・他説では欽明天皇7年)に鳥海山上に鎮座されたと伝えられている。貞観

 4年(862年)に官社に列し国家の祀典に預り、延喜の制には摂社の月山神社と共に名神大社 

 の待遇を受けて諸国に一之宮を定められるに及び、出羽国一之宮として朝野の尊信を享け、

 特に歴代皇室の御崇敬篤く、度々叙位叙勲の御沙汰があり、第115代櫻町天皇(サクラマチテンノウ)の

 元文元年には正一位に叙せられた。また、武将の崇敬も篤く、前九年・後三年の役には八幡

 太郎義家(源義家)が戦勝を祈願し、南朝で従一位・右大臣の北畠顕信(キタバタケアキノブ)が秋田 

 県由利郡乙友村を寄進した寄進状や、鎌倉幕府が北目地頭に対し、当神社の修造を督促せし

 めた下知状が国宝として現在神社に保存されている。    ・・・ 吹浦口之宮 ・・・    


・蕨岡の大物忌神社は山岳信仰の拠点となり、神仏混合の形態が長い間続いてゆく。平安末期

 には龍頭寺を筆頭に、山岳修験寺院が一山・三十三坊を数えていましが、前九年の役の際、

 兵火に巻き込まれ焼失し、その多くは離散していく。中世になると龍頭寺が一定の勢力を持

 つようになり、僧兵による武力が増大する。現在でも大物忌神社の境内には、城郭を思わせ

 る遺構を見る。                                  

・近世に入ると鳥海山の山頂を巡り、庄内藩と矢島藩(秋田県矢島町)の山岳修験者同士の争い

 が藩を巻き込む事となり、幕府が裁定に乗り出すといった騒動が起こる。結果、親藩で石高

 が高い酒田藩が幕閣と結び、当時山頂に藩境があったものが6合目まで秋田県側に食い込む

 といった歪な県境となった。また、同じ遊佐町にある吹浦の大物忌神社と、どちらが出羽国

 一之宮かといった抗争が起こり、これも幕府の裁定で鳥海山山頂を本社とし一之宮とする事

 となる。明治3年神仏分離に際し神式を以て奉仕することとなり、明治4年吹浦の大物忌神

 社を国幣中社と定められたが、一方のみが国幣中社に指定されたことで再び問題が起こるが

 明治13年鳥海山山頂を国幣中社大物忌神社の本殿とし、蕨岡と吹浦は口ノ宮(里宮)として定

 められた。                                    

・平成20年(2008年)3月28日、鳥海山の山岳信仰の中心を担ってきた大物忌神社は、古代から 

 中世、近世の宗教や信仰の実態を知るうえで貴重であるとして、神社境内が国の史跡に指定

 された。また、今回は同様の意味合いを持つ秋田県側の森子、木境の各大物忌神社境内と、

 金峰神社境内、霊峰神社跡の計4カ所を追加し名称も「史跡鳥海山」とするよう答申した。


社号額

 御 祭 神 


○ 大 物 忌 大 神 (オオモノイミノオオカミ) ○


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
社殿



社殿



境内社



鳥居
 
・鳥海山(2,236m)はその勇姿と度重なる火山活動により、古代から大物忌神として崇拝され 

 てきた信仰の山である。特に中世には修験道の霊場としてその地位を確立し、近世には独自

 の鳥海山信仰を推し進めた。鳥海山を取り巻く適地には、道者と呼ばれた修験衆徒が、それ

 ぞれ活動拠点を設けて登拝口とし、独自の登拝道(道者道)を確立している。その活動の拠点

 が、滝沢、矢島(由利本荘市)、小滝、院内(にかほ市)、吹浦、蕨岡(山形県飽海郡遊佐町)で

 ある。これら各修験衆徒は、それぞれが自らの正当性を主張して論争や衝突を重ねてきた。

 中でも、矢島修験と蕨岡修験との山頂社殿をめぐる論争が、藩境問題にまで発展し、現在の

 県境に反映されていることは、広く知られているところである。            

・滝沢、矢島修験はそれぞれの登拝口に、鳥海山遙拝所として大物忌神を祭り、そこを拠点と

 して鳥海山信仰を推し進めていった。特に江戸時代中期から後期には隆盛を極め、鳥海山参

 詣を目的にした他領からの道者が増えるにつれて、各修験寺院は宿坊としてのその役割を担

 うと同時に、参詣時には先達として重要な役割を果たすようになった。このように、これら

 鳥海山修験衆徒の活動拠点である各登拝口や登拝道(道者道)は、鳥海山の宗教文化遺産を代

 表するものであり、鳥海山の宗教・文化・信仰の実態を知るうえで極めて重要である。  





神社参拝の記録





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