宮城県仙台市青葉区八幡四丁目6番1号 鎮 座
御 由 緒
・平安の昔、東夷征伐に際して坂上田村麻呂は武運長久を祈念すべく、武門の守護神である
宇佐八幡宮を鎮守府(胆沢城/岩手県奥州市)に勧請した。室町時代になると、奥州管領の
大崎氏が自領内の大崎市田尻に遷し、大崎八幡宮
と呼ばれるようになる。大崎氏の改易後
伊達政宗公が居城(大崎市岩出山)の小祠に御神体を遷し、慶長9年(1604年)、仙台城の乾
(北西)の方角にあたる現在の地に社殿造営を始め、慶長12年(1607年)、従来(旧領の羽前
国米沢)より伊達氏が祭っていた成島八幡宮と合祀し遷座された。
・社殿の造営には、当時豊臣家に仕えていた工匠が招聘、その御社殿は豪壮にして華麗なる
桃山建築の特色が発揮され、仙台六十二万石の総鎮守として、伊達家の威風と遷宮当時の
絢爛たる息吹とを今に伝える。明治以降は大崎八幡神社と称していたが、平成9年6月に
大崎八幡宮の名称に復した。
・社殿は安土桃山時代の遺構として昭和27年(1952年)国宝建造物に指定されている。
・平成16年(2004年)鎮座400年記念行事:本殿・石の間・拝殿の保存修理が完成する。
御 祭 神
○応 神 天 皇(オウジンテンノウ)、 ○仲 哀 天 皇(チュウアイテンノウ)、 ○神 功 皇 后(ジングウコウゴウ)
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● 重要文化財 長床 ●
・長床(ナガユカ)は元来、修験道等における拝殿をさすが、この建物は中央に通り土間があり
「割拝殿」の形式をもち、両側の室は板敷き床となっている。建造は社殿より遅れて寛文
年間(1660年代)とみられる。昭和41年(1966年)重要文化財に指定。
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● 境 内 社 ●
・太元社:「太元帥明王」。元禄11年(1698年)の古図に拝殿前西側には記載され、仙台五代
藩主・伊達吉村が観請したとされている。
・諏訪社:寛永期(1624〜1644年)に信濃国(長野県)一之宮・諏訪大社より分祀されたものと伝えらる。
・鹿島社:常陸国(茨城県)一之宮・鹿島神宮の分祀とされるが、鎮座の由緒等は不明。
・龍神社:元は氏子の邸内社で、新潟県の長岡市の金峯神社の御分霊を分祀したものと伝えられる。
・北辰社:寛政期(1789〜1801年)には存在が確認されているが、由緒等不明。
・金刀比羅社:讃岐国(香川県)一之宮・金刀比羅宮より分祀された。
・三之鳥居:享保3年(1718年)五代藩主・伊達吉村による寄進。扁額の八幡宮の文字は吉村自身の揮毫。
・二之鳥居:寛文8年(1668年)四代藩主・伊達綱村による寄進。県指定文化財。