御 由 緒
・創祀年代、由緒等は不詳。延喜式内社桃生郡六座の計仙麻大嶋神社の論社。また、小鋭神
社(オノトジンジャ)の論社の一つとされる。
◇計仙麻大嶋神社の論社・・・ 御崎神社 ・・・ 田束山:計仙麻大島神社
・大島神社は、今から凡そ1000年以上も前の文献にもその名が出てくる程古く、蝦夷の民心
の安定帰服と開拓の安寧を祈念して創建されたものともいわれる。別名を御田(オタ)ノ神様
江戸時代には太田ノ神社ともいわれ、御祭神は倉穂魂神(ウガノミタマノカミ)とするが、何故この
四方を海で囲まれた大島の神社が御田の神様なのかというと、伝承の一つに、お田植の季
節になると神霊として祭る巨大な石の上に「たにし」が上がり、毎夜青い光を放っていた
とされるからで、こうした異変事を神事として祭ったことからお田の神様とされた。
・明治3年大島神社と改称し、明治8年に村社となる。
・気仙沼=計仙の麻(ケセノマ)の「ケセマ」とは、アイヌ語で「ケセモイ(終端の湾)」が訛った
もの、また、ケセのマ(岩磯所の集落)ともいわれている。
御 祭 神
○ 倉 穂 魂 神 (ウガノミタマノカミ)、 ○ 大 海 津 見 大 神 (オオワタツミノオオカミ:※児置島)
・御神体は「大ナル石ヲ以ッテ神体トス」とあり、社殿の奥に巨石が祭られている。
・大日本史神祇誌志では御祭神は湍津姫命(タキツヒメ=宗像三女神)とあり、また、神名帳考証
(1667年)では、五十猛神(イソタケルノカミ)と大八洲霊(オオヤシマノミタマ・国魂)とある。
※唐桑半島の先端の御崎にある岩礁で、神降石とされ児置島(コオキシマ)と称される。
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・境内社の八幡神社と、神社の左奥には山神と記された石碑がある。
亀 山 と 愛 宕 神 社
・大島神社から徒歩5分、浦の浜港からはリフトで約12分で、大島唯一の山である亀山の
頂に到着する。山頂にはレストハウスや展望台があり、唐桑半島、牡鹿半島、金華山まで
が見渡すことができる。そして、愛宕神社が鎮座されている。
・南方を望む・・・岩井崎、陸前海岸・歌津崎、そして牡鹿半島が見える。
・南東を望む・・・手前の砂浜は田中浜(※)、その奥が小田の浜海水浴場。
※田中浜の丘の上には、「まんが日本昔ばなし」で放映された「みちびき地蔵」の地蔵堂
(1770年に祭られた三体の木造の地蔵菩薩)があったが、東日本大震災の津波で地蔵堂は
全壊、地蔵菩薩は流出した。
>>大島出身の彫刻を学ぶ大学生に地蔵菩薩の制作を依頼、2012年2月に完成する!地蔵堂
についても再建する方向のようです!
・東方を望む・・・唐桑半島が見える、先端には御崎神社が鎮座する。画像には写っていないが
左手前(大島の北側)には国の天然記念物に指定された、鳴き砂浜の十八鳴浜
(クグナリハマ)がある。