御 由 緒
・仁明天皇(ニンミョウテンノウ)の承和(ショウワ)10年(834年)に、陸奥按察使(ムツアゼチシ)の藤原富士麻呂
(フジワラノフジマロ)が、多賀国府に赴任した時、藤原氏の祖神である奈良の春日大社の分霊を
上野原一本松(塩釜と利府の境)に勧請した。その後、利府の小野田に遷し、その地名も改
めて春日村と称した。こうした由来から、奥州平泉の藤原平衡(フジワラノヒデヒラ)や、藤原の
出である奥州留守職・伊沢左近将監家景(イサワサコンショウゲンイエカゲ)も春日神社を崇拝していた。
天正19年(1591年)、山火事で社殿焼失するが、伊達政宗が再建する計画を立て、4代藩主
の伊達綱村が延宝(エンボウ)元年(1673年)に復元する。明治9年(1876年)再び山火事で焼失
するが明治12年(1789年)に再建され現在に至っている。
・境内社の北宮神社は、古代において国府多賀城の区域を示すものとする説があり、東端は
七ヶ浜町に鎮座する東宮神社、南端は多賀城市の南宮神社(現在の南宮社かは不明)、北端
は北宮神社だが、西宮は現時点では不明である。
御 祭 神
・武 甕 槌 命 (タケミカヅチノミコト)、 ・経 津 主 命 (フツヌシノミコト)
・天 児 屋 根 命 (アメノコヤネノミコト)、 ・比 大 神 (ヒメオオカミ ※)
※神社の祭神を示すときに主祭神と並んで比売神(比売大神)、比盗_などと書かれる場合は
特定の神の名前ではなく、神社の主祭神の妻や娘あるいは関係の深い女神を指すもので
最も有名な比売神は八幡社の比売大神で、宗像三神のことである。また、春日大社に祭ら
れる比売神は天児屋根命の妻の天美津玉照比売命(アメノミツタマテルヒメノミコト)である。
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● ● 本 殿 ● ●
・境内社の北宮と山神社
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