御 由 緒
・第50代桓武天皇の御代、延暦13年(794年)の創祀。出羽郡府の頃は、国常立尊、伊弉諾尊
・元慶元年(877年)、第57代の陽成天皇(ヨウゼイテンノウ)の御代に大和朝廷の命により、出羽国の
国司藤原朝臣興世は、陸奥国の夷俘(イフ=朝廷に帰属した蝦夷)民族の反乱に際して、山城
国(京都府八幡市)に鎮座する国家皇城鎮護の神「石清水八幡宮」(旧官幣大社)の御神霊を
朝廷軍制覇の祈願の為、御荘河北荒瀬郡一条大泉郷に勧請された。元慶2年(878年)3月
15日、出羽国の夷俘民族が大乱(元慶の大乱)を起こし、当時の国府秋田城を始め、多数の
民家を襲って焼失させる。この大乱を治める為に、同年四月朝廷は、陸奥、上野、下野よ
り援軍を出羽国へ送る。この時の鎮守府将軍であった小野朝臣春風は、当神社で秋田下向
にあたり反乱勝利鎮定を祈願され、翌年にこの大乱が終ったとされています。
・出羽国風土記によれば、出羽郡司小野良實が元慶の大乱の平定の為に「石清水八幡宮」の
御神霊を勧請したと伝えられ、古来より荒瀬郷大鎮守、一条八幡宮と称され広大無辺なる
守護神として北荘内一帯の人々から敬仰されています。
御 祭 神
・譽田別尊(ホムタワケノミコト・應神天皇)、 ・足仲津彦尊(タラシナカツヒコノミコト・仲哀天皇)
・息長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト・神功皇后)
[合祀] ・甕速日神(タカハヤビノカミ)、 ・速日神(ヒノハヤヒノカミ)、 ・經津主神
・武甕槌神、 ・建御名方命、 ・菅原道眞
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● 本 殿 ●