石 塔 山 大 山 祗せきとうざんおおやまづみ 神 社 

石塔山・大山祗神社
 青森県五所川原市大字飯詰 鎮 座 地図


・入口より徒歩約15分、鳥居の横には「東日流古代中世遺跡」と記されている。


石塔山・大山祗神社



● 社 殿 ●
石塔山・大山祗神社

 東日流外三郡誌 


・東日流外三郡誌(ツガルソトサングンシ)は異端史書であり、その発見経緯、記述内容の

 変遷の歴史を考慮し、歴史学では完全に偽書としての扱いを受けているのは確

 かであるが、その内容の一部(古代篇の一部)などが、口伝の神話として伝わる

 ものとするならば、それはこの地方をはじめ、土着の神仏、埋没された神仏、

 自然神の蘇りを促したこととなり、その効果は絶大だったと思われる。   


・昭和23年に、当時の和田家の当主・和田喜八郎家天井から落下して発見された

 という逸話がある全368巻と云われる膨大な歴史書で、明治時代に写本された 

 ものと説明され、更に寛政の原本があるとも云われ続けていた。それはまず、

 和田家文書として世に出、昭和40年代中頃、市浦村で村史の資料として使われ

 ることとなり、昭和50年〜52年に「市浦村史本編」という所謂公文書として発

 刊され、その内容をめぐって論争が相次ぎ大反響を呼んだ。その内容は・・・

「 旧石器時代、津軽地方には大陸をルーツとする阿蘇辺(アソベ)族の王国があっ 

 たが縄文時代中期になると、津保化(ツボケ)族に支配される。列島の西に邪馬台

 国があり、同国は高砂族王国に敗れ、王の安日王、副王の長髄彦が津軽に逃れ

 先住民と合流し荒覇吐(アラハバキ)王国を作るのである。この王国は大和朝廷を滅

 ぼし紀元前214年に王を立てる。これが孝元天皇だという。この倭国王国は、 

 東の日高見国と西の倭国に分かれ、倭国は日本国といい、日高見国は荒覇吐族

 が作ったもので蝦夷と呼ばれた。日本国は東を抑え、敗れた荒覇吐族は安倍氏

 を名乗る。前九年の役で源氏に敗れた安倍氏は、安東氏を興し、津軽(東日流)

 半島の外三郡を支配する豪族となり、十三湊を中心に海上貿易で栄えていたが

 1341年の大津波で十三湊は壊滅、攻めてきた青森県東部の南部一族にも追いや

 られ、安東一族は北海道や秋田に逃れた。」である。           


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石塔山・大山祗神社



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