御 由 緒
・富士山本宮浅間大社は、国内の1300社余にのぼる浅間神社の総本宮で、富士信仰の中心地
であり、富士山を神体山とし、頂上には奥宮(富士宮市富士山頂上官有無番地)がある。
・第7代孝霊天皇(コウレイテンノウ)の御代に富士山が噴火し国中が荒れ果てた。その後、第11代垂
仁天皇(スイニンテンノウ)が富士山の神霊「浅間大神」を鎮めるため、垂仁天皇3年(紀元前27年)
に山足の地(富士山麓)にて祭ったのが起源と伝わる。当初は特定の場所で祭られていたの
ではなく、その時々に場所を定めて祭祀が行われていたが、第12代景行天皇(ケイコウテンノウ)の
御代に、現在地の北東6kmの場所の山宮(山宮浅間神社)に磐境が設けられた。また、伝承
では、日本武尊が駿河国で賊徒(ゾクト)の計りにかかり野火に遭われたとき、浅間大神に祈
念して窮地を脱し、賊徒を平定した後に山宮の地に浅間大神を祭ったという。山宮浅間神
社(静岡県富士宮市山宮字宮内740)には社殿は無く、古木・磐境(イワサカ)を通して、富士山
を直接お祭りする古代祭祀の原初形態を残す神社である。
山宮浅間神社の情報サイト
・大同元年(806年)、第51代平城天皇(ヘイゼイテンノウ)の命により、坂上田村麻呂が現在地の大宮
の地に社殿を造営し浅間大神を山宮より遷座した。以降、朝廷の崇敬を受け、延喜式神名
帳では名神大社に列し、また、駿河国一宮として崇敬された。
・延喜元年(901年)、第60代醍醐天皇(ダイゴテンノウ)の勅願により、本宮より駿河国総社の神部
神社(カンベジンジャ)に浅間神社(アサマジンジャ ※1)を勧請、新宮(冨士新宮)と呼ぶ。
それに対して当社を「本宮」と呼ぶ。
・1871年(明治4年)5月14日、近代社格制度のもとで浅間神社として国幣中社に列する。また
1896年(明治29年)7月8日に官幣大社に昇格した。第二次世界大戦後は神社本庁の別表神社
に加列され、「富士山本宮浅間大社」に改称した。
※1、神部神社、浅間神社(二社同殿)、及び大歳御祖神社(オオトシミオヤジンジャ)の三社を総称
して静岡浅間神社(シズオカセンゲンジンジャ)と呼ばれ、鎮座地(静岡市葵区宮ケ崎町)は
賎機山(シズハタヤマ)の麓に位置する。神部神社は、崇神天皇の時代(約2100年前)の鎮
座と伝えられ、大己貴命(オオナムチノミコト)を祭る延喜式内小社で、平安時代より駿河国
の総社である。大歳御祖神社は、応神天皇の時代(約1700年前)の鎮座と伝えられ
古くは奈古屋神社と称され、祭神の大歳御祖命(オオトシミオヤノミコト)は、倉稲魂神(ウガノミ
タマノカミ)、大年神(オオトシノカミ)の母神で、別名は神大市比売命(カムオオイチヒメノミコト)である。
・明治21年、三社別々に国幣小社に昇格、戦後は別表神社となる。重層な大拝殿は
高さ25メートルで、木造神社建築としては出雲大社本殿(約24メートル)より高い。