御 由 緒
・神社が祭られたのは、崇神(スイジン)天皇・2年(紀元前2年)に神社の瑞垣の修造が行
われたという記録があり、それ以前の古い時代から祭られていたとおもわれます。
また先年、糺の森周辺の発掘調査で弥生時代の住居跡や土器が多く発掘され、それ
を裏付けています。さらに社伝や歴史書に、お祭、社殿、ご神宝等の奉納などが記
録されています。
・「続日本紀」の文武天皇二2年(698年)には、葵祭に見物人が多く集まるので警備
するように、という命令が出されたという記事があります。このことから奈良時代
より前から、賀茂御祖神社が大きなお社で、盛大なお祭がおこなわれていたことが
わかります。
・平安時代には、国と首都京都の守り神として、また皇室の氏神さまとして特別の信
仰を受け、式年遷宮や斎王の制度などが定められていた特別な神社であったことが
しられます。そして「源氏物語」や「枕草子」など王朝文学にしばしば登場します
ように、この時代の文化、宗教の中心地の一つとして栄えました。
・平安時代末期になりますと全国に六十余箇所もの荘園、御廚が寄進され神社を支え
ました。鎌倉時代、室町時代、そして戦乱の世になっていくにつれ、各地の荘園も
連絡が次第に絶えて行きますが、代わって国民の信仰が神社をささえていくように
なりました。神殿守(殿司)とよばれる人々が全国をまわって、ご神徳を説いていく
のもこのころです。賀茂御祖神社を舞台とする、数多くの能などに、そのころの様
子が伺われます。また国の重要な出来事には、かならずご祈願が行われました。
・江戸時代にも、国と国民の幸福を祈願する神社として、神社の運営のため幕府より
領地が寄せられました。
・明治初年、全国の神社の代表として、官幣大社の首位におかれ、今日まで国と国民
のための祈願を日々おこなっています。
御 祭 神
○賀 茂 建 角 身 命 (カモタケツヌミノミコト)、 ○玉 依 媛 命 (タマヨリヒメノミコト)
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● 輪橋と鳥居 ●
● 御手洗社(井上社) ●
・御手洗社の御祭神は瀬織津姫命(セオリツヒメノミコト)
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● 摂 社・河 合 神 社 ●
・鴨河合坐小社宅神社(カモノカワアイニマスオコソヤケノジンジャ)と称するのが社名である。
御祭神は玉依姫命。古くから本宮に次ぐ大社として歴史に登場し、女性の
守護神として信仰されている。
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