[ 延喜式内・白河神社の論社 ]
@福島県白河市旗宿にある白河の関跡に鎮座します、旧社名「二所関明神」
である現在の「白河神社」。<このページ参照>
A福島県白河市鹿島に鎮座します「鹿島神社」。
宝亀年間(770〜780年)第49代・光仁天皇(コウニンテンノウ)の御代この地に祭ら
れ、弘仁2年(811年)・坂上田村麻呂が東夷征伐の際、改めて常陸国・鹿島
大明神を勧請した神社で、白河地方の総鎮守とし、武の神、白河以北を守
る神として戦勝を祈願したと言われています。延喜式神名帳にのこる式内
社・白河神社であるというが、いつ現在の社名に改称したか不明。
福島県白河市鹿島8 鎮座
延喜式内社 白河郡
白 河 神 社
福島県白河市旗宿関ノ森120 鎮座
白河の関
・白河の関(シラカワノセキ)は、念珠ヶ関(ネズガセキ)、勿来関(ナコソノセキ)と共に奥州三関の一つに
数えられる関所で、東北本線の白河駅から南方約12kmの山間に位置し、その丘陵上に
は白河神社が祀られている。関の設置の年代は不明であり、平安中期にはその機能を
失ったとされる。関の廃止後、その遺構は長く失われて、その具体的な位置もわから
なくなっていたが、1800年(寛政12年)、白河藩主・松平定信は文献による考証を行い
その結果、白河神社の建つ場所をもって白河の関跡であると確認した。昭和34年から
5ケ年にわたって、ここが関跡か否かを実証的に確認することを目的として発掘調査
が実施され(関の森遺跡)、この調査で確認された遺構・遺物、遺跡の立地的考察から
ここが白河関跡の条件にかなう点が多く、昭和41年に国史跡として指定された。
・白河神社の鎮座地については、古くから白河市の東にあたる旧県社・鹿島神社であろ
うという節と、同市内の南の旗宿にある白河関跡の旧社名・二所関明神(現財の白河
神社)という節の二論の上に、さらに二所関明神(関の明神)は、式内社・伊波止和気
神社(イワトワケジンジャ)であろうとするが混交して、今猶定まっていないのである。その
要因としては鹿島神社が昔から白河神社と称された確証が無いこと、江戸期には白河
郡には、式内・白河神社であるという神社の記録が無いこと、また二所関明神(住吉
明神)を白河神社と称したのが、明治2年以降であるからである。
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● 拝 殿 ●
御 祭 神
・天太玉命(アメノフトダマノミコト)、 ・中筒男命(ナカツツノオノミコト) 、・衣通姫命(ソトオリヒメノミコト)
また、白河国の国造・鹽伊乃自直命(シオイノジノアタイノミコト/塩伊乃己自直命)
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● ● 本 殿 ● ●