御 由 緒
・第12代景行天皇(ケイコウテンオウ)の御代、東夷征伐に赴かれた日本武尊の陣営の跡といわれ
この地に社殿を建立して神霊を鎮祭し、大宮白鳥明神と称し、永く地方鎮守の神とし
て崇奉されている。第52代嵯峨天皇(サガテンオウ)の弘仁3年(812年)、弘法大師・空海が
真言密教の流布のため東奥行脚の際、社南に寺院を建て十一面観音像を置いて本地と
し、社僧を定めて寺号を大宮山定龍寺とした。前九年の役(1051〜62年)では、源頼義
(ミナモトノヨリヨシ)と義家(ヨシイエ)親子はその神護を求めたと言う。文治5年(1189年)、奥州
藤原氏との合戦に軍を進めた源頼朝(ミナモトノヨリトモ)は、故事に倣って宝鏡・太刀を寄進
してた。天保12年(1841年)、火災で歴史的な文化財を焼失する。
・境内社に甲子神社、松尾神社、八幡神社。 ・例祭:春季4月15日、秋季10月15日。
御 祭 神
○ 日 本 武 尊 (ヤマトタケルノミコト)○
・武甕槌命(タケミカヅチノミコト)、・大山祇神(オオヤマツモノカミ)、軻遇突智神(カグツチノカミ)
・誉田別尊(ホムタワケノミコト)、 ・菅原道真公(スガワラノミチザネ)
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● 本 殿 ●
・境内社の甲子大国神社(左)と松尾神社(右)
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