・御釜神社は塩釜神社(鹽竈神社)の表参道から東へ約500メートルの町中に鎮座し、日本製塩起源の地ともい
われ、塩釜市の名の発祥地である。
・創建の時期は不明であるが、1307年頃の作とする鎌倉時代中期の時宗の開祖、一遍(イッペン/円照大師)の
遊行の生涯を描いた絵巻『遊行上人縁起絵(ユギョウショウニンエンギエ)』には塩竈津の風景に2口の竈が描かれて
おり、この頃には既に塩竈のシンボルとして認識されていたと思われる。
・『鹽竈社址審定考』によれば、鹽竈神社は元々この地にあり、仙台藩主伊達政宗が慶長12年(1607年)に
現在の一森山に遷座させたとしているが、留守氏の文書『一宮鹽竈神社手記 ※1 』からは、御釜神社
付近ではなく御山にあったことが伺えるなどから、鹽竈神社では、この説は信じがたいと述べている。
※1 鹽竈神社が慶長年間(1596〜1615年)に野火のため炎上した記載が、「顕宗公御代野火ニテ一宮
御炎上、鹽竈御山近辺野火御禁制」とあり、また、炎上した棟札から、鹽竈神社は、天正年間
(1573〜1592年)に再興されたことが分かったため。
御 祭 神
○ 塩 土 老 翁 神 (シオツチオジノカミ) ○
「宮城県神社名鑑」では、鹽土老翁神、奥津彦神、奥津姫神の三柱とする。
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・八 重 言 代 主 大 神 (陰の御存在)、 ・聖 観 世 音 菩 薩
・社殿の奥には、藻塩焼神事が行われる大釜があり、最奥には牛石藤鞭神社が鎮座する。
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● 御 神 釜 ●
・『鹽竈社縁記』によれば、武甕槌命・経津主神が東北を平定した際に、両神を先導した塩土老翁神が
この地に留まり現地の人々に製塩を教えたとし、その竈が今も在ると言う。
・仙台藩4代藩主伊達綱村の治世の記録『肯山公治家記録』や『塩竈町方留書』には、竈の水色の変化に
よりト占が行われていたことが記録されている。『塩竈町方留書』の記録では、少なくとも寛永13年
(1636年)からト占が行われており、竈の水の変色は吉凶事が起こる前兆であるため、変色があった際は
別当法蓮寺から仙台藩に届け出ることになっていた。
・直径約1.4メートルの御神釜が4つ奉安され、「塩竈町方留書」によれば竈の大きさは以下の通りである。
○ 御臺の竈 ・・・ 深さ1寸6分(48.5mm)、廻り1丈4尺6寸(4,423.8mm)
○ 西の方 ・・・ 深さ6寸(181.8mm)、廻り1丈5尺(4,545mm)
○ 北の方 ・・・ 深さ6寸(181.8mm)、廻り1丈5尺6寸(4,726.8mm)
○ 東の方 御宮脇 深さ5分(15.1mm)、廻り1丈5尺(4,545mm)
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◇◇ 宮城県無形民俗文化財 藻塩焼神事(モシオヤキシンジ) ◇◇
・藻塩焼神事は、海藻のホンダワラ(アカモク)を刈り取る「藻刈神事」を行うことからはじまり、塩釜湾
の釜ヶ淵から海水を汲み取り、一年の間に御神釜四口に張られた海水を取り替えるという「水替神事」
が行われる。また、海水を大きな釜で炊き上げ荒塩を作る「藻塩焼神事」を斎行し、出来上がった荒塩
を7月10日の鹽竈神社例祭に神饌としてお供えする。
藻塩焼神事例祭
・7月4日「 藻 刈 」 七ヶ浜町花渕湾で海藻のホンダワラを刈り取る神事。
・7月5日「 御 水 替 」 松島湾内釜ヶ淵から海水を汲み取って御神釜の海水を取り替える神事。
・7月6日「 藻塩焼例祭 」 古式にのって荒塩を作る神事。
・7月7日「 藤鞭社祭典 」 牛石藤鞭社(ウシイシフジムチシャ)例祭。
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● 牛石藤鞭(ウシイシフジムチ)神社 ●
・『奥鹽地名集』には、和賀佐彦という神が7才の子供の姿となって塩を載せた牛を引かせたが、この牛
が石と化したという異説が記載されている。また、神が牛を引く際に使用した藤を逆さまに立てていた
ところ、これが根付いて1丈四方の白藤になったと言う・・・『塩竈町方留書』によれば、この牛石と鞭藤
の奇端を記念して宮を造り、祭るようになったとする。
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