「 延喜式内明神大社・志波姫神社の論社 」 @大崎市古川桜ノ目の江合川(荒雄川)の畔に鎮座し、天鈿女命(アメノウヅメノミコト)と  武壅槌神(タケミカヅチノカミ)を御祭神とする志波姫神社。            A栗原市志波姫に鎮座します、木花開耶姫命(コノハナノサクヤヒメノミコト)を御祭神とする  志波姫神社。                             B栗原市高清水に鎮座します、天鈿女命を御祭神とする志波姫神社。       C栗原市高清水町で崇敬される、大日霎貴尊を御祭神とする皇大神社。    

延喜式内明神大社 栗原郡

 @ 志 波 姫しわひめ 神 社 

志波姫神社
 宮城県大崎市古川桜ノ目高谷地205 鎮 座 地図  


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●  拝 殿  ●
志波姫神社

 御 由 緒 


・社伝によると、称徳天皇(ショウトクテンノウ ※)の天平神護(テンビョウジンゴ)元年(765年)の

 創祀とされ、元は現在地から700m位離れた桜ノ目集落内にあったが、元禄6年 

 (1693年)、領主の石母田氏によって現在地に遷座された。第56代清和天皇(セイワテン

 ノウ)の貞観(ジョウガン)元年(859年)、即位の恩典により従五位勲四等から従四位下 

 に進められ、延喜式内名神大社に班す。明治5年4月郷社に列せられ、明治40年

 3月共進社に指定された。明治41年2月村社鹿島神社を合祀する。      

 ※第46代孝謙天皇が一度退位したが、再び即位し第48代称徳天皇となった。  



 御 祭 神 


○天 鈿 女 命(アメノウヅメノミコト)  ○ 武 甕 槌 神 (タケミカヅチノカミ)


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志波姫神社



志波姫神社



志波姫神社



志波姫神社





延喜式内明神大社 栗原郡

 A 志 波 姫しわひめ 神 社 

志波姫神社
 宮城県栗原市志波姫八樟新田126 鎮 座 地図  



●  拝 殿  ●
志波姫神社

 御 由 緒 


・第45代聖武天皇の、神亀〜天平年間(724〜749年)の創建といわれ、延暦年間(796〜

 801年)に坂上田村麻呂が東征の際、武運長久(ブウンチョウキュウ)と五穀豊穣を祈願したと

 伝えられる延喜式内社・栗駒七座の明神大社である。元は伊豆野権現社(イズノゴンゲ

 ンシャ)と称し、築館の町裏玄光(現:築館源光)に鎮座されていたが、正保年中(1644〜

 1648年)に祝融(シュクユウ)の災いに罹(カカ)り社殿のすべてが烏有(ウユウ)に帰し、その後 

 再建されることなく、伊豆大権現の石宮を祀るのみであった。         

・寛永16年(1639年)伊達2代藩主・忠宗公は、家臣の古内主膳重廣に伊豆野原の野谷 

 地を賜り、その開拓を命じられた。伊豆野原を拝領した古内主膳は、伊達藩の土木

 技術者であった川村孫兵衛元吉に、伊豆野原開拓工事の設計を依頼した。正保元年

 (1644年)工事に着手、3年の難工事の末、伊豆野堰の完成をみた。伊豆野堰開削に

 よって伊豆野原開拓に成功した領主・古内主膳は、明暦3年(1658年)に至って社殿 

 を造営し、水下15ケ村の守護神としてこの地に遷座した。           

・明治22年4月、市町村制の施行により、姫郷村、白幡村、梅崎村の3ケ村を合併し

 この由緒ある社名を唱えて志波姫村とした。町名ゆかりの神社である。     

・明治43年、村内の運南神社、駒形根神社、八坂神社、樟神社、八幡神社、白山神社

 熊野神社、五十瀬神社を合祀した。                     



 御 祭 神 


○ 木 花 開 耶 媛 (コノハナノサクヤヒメ) ○



・倉稻魂命、  ・應神天皇、  ・素盞嗚尊、  ・ 菊理姫命

・伊弉册命 、 ・大日靈命、  ・軻遇突智命、 ・ 倭姫命 


 
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志波姫神社




● 本 殿 (鞘殿内) ●
志波姫神社






栗原市高清水

 B 志 波 姫しわひめ 神 社 

高清水の志波姫神社
 宮城県栗原市高清水字五輪17-2 鎮 座 地図  




高清水の志波姫神社

 御 由 緒 


・寛保年中、大旱(タイカン/ひどい日照り)の際、領主亘理氏、別当三明院知観に

 命じ雨を祈り、慈雨3日に及び農耕をたすけたので、領主神恩に感謝して 

 社領を献納した。明治に至って現在の地に遷座した。          



 御 祭 神 


○ 天 鈿 女 命 (アメノウズメノミコト) ○


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高清水の志波姫神社






高清水 鎮座

 C 皇 大こうたい 神 社 

高清水の皇大神社
 宮城県栗原市高清水字佐野丁25 鎮 座 地図


 御 由 緒  ・第44代元正天皇の御代の養老年間(717〜723年)の勧請にして、東奥地方田疇開拓の  勅願所であった。現在の鎮座地より西方3km位の高清水西村境に祀られたが、亘理  氏が現在地に奉遷した。昔、別当は玉泉寺であったが、延宝8年(1680年)より宍戸  相模守が神主となり、宝暦年間(1751〜1763年)に社殿が造営された。奥州七神明社  の内の一社とされ、明治7年1月に村社に列する。境内入り口の大杉の根が大きく  橋のように生えているので、根子橋神明ともいわれる。かつては拝殿傍らに、樹齢  一千年余の大欅があり、十数里先からも当社の所在が解ったほどだったが、樹幹の  洞穴等の危険木とみなし、昭和12年10月東京の銘木商細川馬八へ売却された。現在  は大欅の碑が跡地に建立されてある。                     ・奥州七神明社とは、一の宮・秋保長袋、二の宮・高清水、三の宮・仙台榴ヶ岡、四  の宮・刈田の白石、五の宮・角田、六の宮・岩谷堂、七の宮・川口で、神主は一社  一人と定められていた。                            御 祭 神  ○ 大 日 霎 貴 尊 (オオヒルメノムチノミコト) ○ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


高清水の皇大神社




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