・田尻に鎮座します大崎八幡神社は、仙台市の国宝大崎八幡宮、大崎市古川江合の八幡神社
大崎市岩出山の八幡神社の本家で、一千年の歴史を持つ古社である。 >> 国宝大崎八幡宮
● 拝 殿 ●
御 由 緒
・大崎八幡神社の境内一帯は、天平9年(737年)大和律令国家が設けた新田柵の跡地と推定
され、柵の守護神・延喜式内社新田郡:子松神社の旧鎮座地(異説あり)といわれてきた
場所である。神社の起源は二説あり、一つは天喜5年(1057年)の前九年の役(ゼンクネンノエキ)
で、陸奥守兼守府将軍の源頼義(ミナモトノヨリヨシ)、義家(ヨシイエ)の父子が、安倍頼時(アベノヨリトキ)
と貞任(サダトウ)を攻め、田尻八幡北部の天狗ヶ岡で石清水八幡(イワシミズハチマン)を祭り勝利を
祈願、安倍氏を滅ぼして凱旋途中に、この地と胆沢、栗原の三ヵ所に石清水八幡を勧請
し武具等を奉納したとされる。もう一つは、封内風土記などにある大永7年(1527年)の
勧請説で、大崎家に葛西家から輿入(コシイ)れした辰巳御前が、岩手・胆沢郡八幡邑の八幡
宮を、大崎氏の居城の小野御所(古川)の辰巳にある、遠田郡八幡村(田尻)に勧請したと
いう説である。その後、奥州探題(オウシュウタンダイ)の斯波家兼(シバイエカネ/大崎家兼)は、先祖
源義家が建てた八幡神社を厚く敬い、正平16年(1361年)大崎5郡の総鎮守として社殿を
再興、大崎八幡と称されるようになった。大崎氏滅亡後は、伊達政宗が大崎八幡神社を
敬い、慶長5年(1600年)に岩出山に移し、さらに同9年(1604年)仙台城下の国分荒巻に
華麗な権現造りの社殿を造営して奉還した。田尻の大崎八幡は、後に伊達家によって元
の場所に再建され、郡民の信仰を集め、明治5年(1872年)と郷社なった。現在の社殿は
平成4年10月に新築された。
御 祭 神
○ 応 神 天 皇(オウジンテンオウ) ○
○天照皇大神、 ○倉稲魂神(ウカノミタマノカミ)、 ○建御名方神(タケミナカタノカミ)
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● 本 殿 ●
● 旧拝殿 ●
● 参道の神木 ●
・もっとも太いところで周囲7メートル、樹高38メートルの老杉で、根の部分が馬の後足と尻毛
の形に酷似しているため馬形杉(ウマコスギ)と呼ばれているご神木。町の天然記念物に指定
されている。