延喜式内社 宮城郡

 多 賀たが 神 社 

多賀神社
 宮城県多賀城市高崎字坂下45 地図




多賀神社



● 社 殿 ●
多賀神社

 御 由 緒 


・鎮座の年月は不明だが、この地は古くから多賀城の附属寺院の境内であり、封内風土記 

 によれば、陸奥国司・多賀城主が江州(ゴウシュウ/近江国)の多賀神社(多賀大社)を勧請した 

 のが起源とされ、延喜の制国弊小社に列せられる。日本後紀には、桓武天皇の延暦15年  

 (796年)10月己卯、従五以下を授け奉るとある。朝野群載(チョウヤグンサイ)には、「堀河天皇  

 の康和5年(1103年)6月、・・・坐陸奥國多加神云々。社司等依過穢神事崇給、遣使科中祓 

 可令、祓清奉仕事宮主従五位下行少祐卜部宿禰兼良、中臣従五位上行権少副大中臣輔清」

 とあり、当時の朝野(朝廷と民間)の崇敬をうけた社である。明治5年村社に列せられる。

 明治41年10月、大字留ケ谷字中道の神明社、明治44年5月、大字東田中字志引の千引神社

 及び大宇留ケ谷字影屋敷の天神社を合祀。昭和40年、境内一円が国の特別史跡に指定され

 数年にわたり発掘調査が進められ、また、史跡公園となったため、多賀城廃寺跡東塔基壇

 上に鎮座した神殿とその他の施設を、隣接の地に移築して神霊を安鎮した。      

・社殿の老朽のため再建、平成13年4月15日に神明造りの社殿が完成する。        



 御 祭 神 


○ 伊 弉 諾 尊(イザナギノミコト)、  ○ 伊 弉 冉 尊(イザナミノミコト)


・天照皇大神、  ・久那斗神(クナドノカミ/岐神)、  ・菅原道真


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多賀神社





● 多賀城廃寺跡から見る多賀神社 ●
多賀神社


[ 多 賀 城 廃 寺 ]

・多賀城の南東約1kmの高崎地区の低丘陵上に、通称、多賀城廃寺と称される多賀城付属 

 の寺院跡がある。寺院の創建は多賀城と同時期とされ、塔・金堂・講堂・経蔵・鐘楼や 

 僧坊などの建物からなる壮大なもので、順調な東北統制を願って建設されたと考えられ 

 る。遺構から考察すると、主要な建物配置が大宰府の付属寺院である観世音寺と類似して

 おり、これを手本にして建てられたとされる。また、昭和58年に山王遺跡から「観音寺」

 と書かれた墨書土器が発見されたことから、この寺院が観音寺、または観世音寺という 

 名称であったと考えられている。                         



東北歴史博物館HP-多賀城廃寺より




神社参拝の記録




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