東 宮 神 社
宮城県宮城郡七ヶ浜町東宮浜字鶴ヶ湊1 鎮 座
● 拝 殿 ●
・塩釜神社の境外末社の一社で、塩釜神社の東方位守護として、千賀の浦(塩釜港)の明神崎 (東宮明神が祭られているために明神崎と称される)に鎮座する。また、蝦夷開拓の本拠と して多賀城(柵)を築き、天平元年(729年)には鎮守府将軍の任にあった大野東人(オオノアズマ ヒト/按察使兼鎮守府将軍、参議)が、多賀城鎮護のため四方位に配したともされるが、創祀 創建は不明。 ・鎮座地の東宮浜の名は神社にちなんだもので、また、この地は、伊達政宗の命により開削 された貞山運河の河口にあたり、藩政時代には要害を置き警護にあたったとされる。 御 祭 神 ○ 東 塩 根 老 翁、 ○ 東 塩 根 老 女
● 本 殿 ●
・境内社の八幡社(紫根明神)。
・境内社の稲荷社。
・多賀城、塩釜神社を中心として四方位に鎮護社が置かれた。北宮は利府町春日の春日神社 東宮は七ヶ浜町東宮浜の東宮神社、西宮は宮城野区岩切の八坂神社境内社の志波彦神社で 南宮については陸奥総社宮に合祀され、元の鎮座地等は不明であるが、多賀城市南宮の地 に南宮神社と称する社がある。
南 宮 神 社 宮城県多賀城市南宮字色の地 鎮 座
・昔、多賀城に津浪が襲来し、八幡に鎮座していた若佐姫命を祭る神社の社殿が激流に押し 流され、南宮に漂着したので南宮神社に合祀した。明治41年、他の神社とともに総社宮に 合祀されるが、調和が取れずに若佐姫命は戻って来られたが、すでに社殿は片付けられて いた。若佐姫命は、お宮を建ててもらいたいという願いから、心ならずも村に災いを起こ した。村人はその思いをしり、現在の社殿を建てたという。 ○御祭神:若佐姫命( 色之御前女神 )=若狭姫命( 豊玉姫命 )