御 由 緒
・登米神社を元は八幡宮と称する。天喜年中に鎮守府将軍・源頼義(ミナモトノヨリヨシ)が賊徒
征伐の時、鏃(ヤジリ)を神体として戦勝を祈願した辺室山の浄地に、康平(コウヘイ)5年
(1064年)、頼義の嫡子義家(ヨシイエ)が、山城国鳩峰に鎮座せる岩清水八幡宮を勧請分
遷たもので、後世その地を八幡崎と呼んだ。文治(ブンジ)5年(1189年)、藤原泰衡
(フジワラノヤスヒラ)没落後、葛西三郎清重(カサイキヨシゲ)がこの地方を領有するにあたり、八
幡宮を七郡の総鎮守・葛西家累代の守護神として尊崇した。天正(テンショウ)18年(1590
年)葛西家散亡の運命となり、慶長(ケイチョウ)9年(1604年)、仙台藩の伊達相模守宗直
(ダテサガミノカミムネナオ)が本領主として移城するにおよび、慶長11年(1606年)八幡宮を八
幡崎から寺池道場の山麓へと鎮座した。さらに享保(キョウホ)7年(1722年)、六代伊達
宗村(ダテムネムラ)が社殿を現在の山上に移築し。歴代領主の守護神として尊敬し引き
継がれた。明治6年(1873年)当地に水沢県庁があったとき、八幡宮とその傍らに鎮
座せる住民の深く信仰する稲荷神社を合祀して県社改称し、昭和27年11月登米神社
と改められた。 ・例祭は春季:4月20日、秋季:9月15日。
御 祭 神
○田心姫命(タゴリヒメノミコト)、○湍津姫命(タギツヒメノミコト)、○市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)
○猿田彦命(サルタヒコノミコト)、 ○倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)、○大宮姫命(オオミヤヒメノミコト)
○応神天皇(オウジンテンノウ)
※日本書紀では、田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命で、古事記では多紀理毘売命
(タキリビメノミコト)、市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト)、多岐都比売命(タギツヒメノミコト)と記す
福岡県の「宗像大社」の祭神で、宗像三女神と称する。
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● ● 本 殿 ● ●
・登米神社の鳥居脇の道をはさみ「子育神社」がある。
ご祭神は木花咲夜姫命(コノハナノサクヤヒメノミコト/木花開耶媛)
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