陸奥国一ノ宮 延喜式明神大社 白河郡

 都都古別つつこわけ神社(棚倉八槻) 

都都古別神社
 福島県白川郡棚倉町大字八槻字大宮224 鎮 座 地図



● 社 殿 ●
都都古別神社

 御 由 緒 


・八槻都都古別神社は近津(コトヅ)三社の一社と呼ばれていて、馬場の都都古和気神社 

 を上之宮、八槻の都都古別神社を中之宮、茨城県大子町下野宮の近津神社を下之宮 

 としていた。                                

・八槻都都古別神社は、大和武尊が八溝山の東夷(トウイ)の大将を討った際、守護として 

 示現した三神の天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神が、建鉾山(表郷村大字三森)

 に隠れた時に放った箭(ヤ)の着いた所を箭津幾(ヤツキ)とし、都都古別神社を創建したの

 が始まりといわれています。また、大和武尊が八目鳴鏑(ヤツメノナリカブラ)で夷賊(イゾク)を

 射たおした時、その矢の落ちた所を矢着(ヤツキ)と称し、都都古別神社を創建したとも 

 いわます。                                 

・明治4年の太政官府によって、馬場の近津明神が延喜式明神大社の都都古和気神社と

 されて国幣中社に列せられた時に、八槻の近津明神が抗議し論争の結果、明治18年に

 両社並立という異例の処置によって、八槻の近津明神も国幣中社に列せられた。  



 御 祭 神 



○ 味 秬 高 彦 根 命 (アジスキタカヒコネノミコト)、  ○ 大 和 武 尊 (ヤマトタケルノミコト)
 


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