宮城県栗原市築館字萩沢木戸122
● 拝 殿 ●
御 由 緒
・小泊瀬稚鷦鷯命(オハツセノワカサザキノミコト/武烈天皇)が東北行幸(ギョウコウ)の際、海辺を経て
牡鹿桃生を過ぎ、この地に上陸され、暫く駐泊され北征されたと言う伝説がある。
帝の近臣は睦氏で後裔は久我氏と和我氏の二姓となる。久我氏は旧姫松村に居住し
帝崩御の際陵を祀り、和我氏は城戸に居住し帝の為に址祠を祀る。これが社名の起
こりであるという。続日本紀に天平9年(737年)、和我君(ワガノキミ)計安塁(ケアルイ)は
東征の夷敵を鎮めた旨の記載があり、関連があるかもしれない。別名を新山権現と
称す。明治8年5月村社に列す。明治35年本殿改築。明治40年3月、幣帛供進社に
指定。昭和11年拝殿修築。和我神社の論社の一つ。
御 祭 神
○ 武 烈 天 皇 (ブレツテンノウ)、 ○ 倉 稲 魂 命 (ウカノミタマノミコト)
○ 金 山 彦 命 (カネヤマヒコノミコト)、 ○ 軻 遇 突 智 命 (カグツチノミコト)
・稚産霊命(ワクムスビノミコト / 和久産巣日神)、 ・表筒男命(ウワツツオノミコト)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
● 本 殿 ●