御 由 緒
・後鳥羽天皇(ゴトバテンノウ)の文治3年(1187年)、源義家(八幡太郎義家)が鎌倉の
鶴岡八幡(若宮)を現在の八幡平に勧請したものと伝えられる。天正年中、大崎
義隆の家臣、百々左京助隆元が沼部村の鶴城の乾(イヌイ・北西)の方に遷し祭り
守護神と仰いだ。天正16年伊達氏の進攻に遭い、義隆・隆元ともに敗走、時に
家臣神霊を護持し現在地に祭り、当学院台長法印をして奉仕せしめた。明治6
年3月村社に列す。・境内社:山王社、金華山大神、稲荷明神社、鎮守明神。
御 祭 神
・誉田別命(ホムタワケノミコト/応神天皇)、 ・比売大神(ヒメノオオカミ/宗像三神)
・息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト/神功皇后)、 ・武内宿神(タケノウチノスクネ)
・大山咋神(オオヤマクイノカミ/山末之大主神)
※神社の祭神を示すときに主祭神と並んで比売神(比売大神)、比盗_な
どと書かれる場合は特定の神の名前ではなく、神社の主祭神の妻や娘
あるいは関係の深い女神を指すもので、最も有名な比売神は八幡社の
比売大神で、宗像三神のことである。
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● 本 殿 ●