熊 野くまの 大 社 

熊野大社

 山形県南陽市宮内3476-1 鎮 座 地図

 


熊野大社 参道



幸神社・土社神社

・[幸神社]:猿田彦命、天細女命 ・[土社神社]:加具郁知神、蛭子神、埴山姫命



月山神社・湯殿山神社・大社神社

・[月山神社]:月読命           ・[大社神社(三輪神社)]:大国主神

・[湯殿山神杜]:大山祇神、大己貴命、少名彦名命              



● 拝 殿 ●
熊野大社・拝殿

 御 由 緒 


・現存する古文書において、当社に関し最も古い年号が見える記事には、大同元年(806年) 

 平城天皇の勅命により、紀州熊野権現の御神霊をお遷し申し上げ、再興したとあります。

 この記事から推して、当地には、大同元年には既に神社が祀られてあったものを、この年

 に更に興隆をはかったものと考えられます。                    

・大同元年(806年)、第51代・平城天皇(ヘイゼイテンノウ/ヘイジョウ)は、当時開拓中で、朝廷の統治 

 が充分でなかったこの地方に、中央の崇敬篤い熊野権現を勧請し、開拓民の幸せを祈願な

 さったのをはじめ、再興されました。第56代・清和天皇(セイワテンノウ)の命により、東北の地 

 を広く行脚した慈覚大師は、貞観6年(864年)、御本尊として、弥陀・薬師・観音の三像 

 と大黒像を納められたと伝えられています。                    

・神仏混淆の時代には、熊野信仰はいちはやく仏教と結びつき、混然一体とした形態が長く

 続きました。紀州熊野は、自ら証誠寺と称し、また全国各地に熊野神社のうち、七箇所の

 大社に証誠寺の称号を許しました。当社もこの証誠寺の称号を許され、これを学頭坊とし

 数拾の坊を率いる密教系の一山寺院の形態を呈していました。頭初は、他寺他山の支配を

 うけることなく、独立無本寺の別山でしたが、江戸時代以降は、本山や本寺をもつように

 なり、天台・真言・大津神主・山伏・修験等、一山中に代表的な宗教が網羅されていると

 いう非常に複雑な構成となっていました。明治初年の太政官布告により、神仏分離が行な

 われ、熊野神社として現在に至っています。                    


熊野大社・拝殿

 日 本 三 熊 野 


・全国に広がった熊野信仰は「伊勢へ七度、熊野へ三度」とうたわれ、「蟻の熊野詣」の諺

 を生じたほどでした。日本三熊野とは、紀州の熊野三山、上州と信州の国境、現在の群馬

 と長野の県境である碓氷峠に鎮座します熊野神社と、当宮内の熊野神社を数えます。  


熊野大社・拝殿



熊野大社

・熊野三山勧請の御本殿、手前から、三宮(那智社)、本宮、二宮(速玉社)



● 三 宮 神 社 ●
三宮神社

 御 祭 神 


・熊野家津御子大神(クマノケツミコノオオカミ) / 素盞嗚尊(スサノオノミコト) ・観音菩薩


● 本 宮 ●
本宮

 御 祭 神 


・熊野夫須美大神(クマノフスミノオオカミ) / 伊弉冉尊(イザナミノミコト) ・阿弥陀如来

本宮


本宮

・「波に兎(なみにうさぎ)」:本宮背面の装飾の「波」の中に兎が3羽、隠し彫りされてい

 る。この3羽の兎をすべて見つけられた者は、お金持ちになり、長寿になると伝えられて

 いる。                                     


● 二 宮 神 社 ●
二宮神社

 御 祭 神 


・熊野速玉大神(クマノハヤタマノオオカミ) / 伊弉諾尊(イザナギノミコト) ・薬師如来



八幡神社

・[八幡神社] 御祭神:応神天皇


愛宕神社・保呂羽神社・羽黒神社・菅原神社

境内社:愛宕神社、・保呂羽神社、・羽黒神社、・菅原神社


稲荷神社

・[稲荷神社] 御祭神:宇迦御魂命


・皇大神杜・厳島神杜・白山神杜・義家神杜・景政神杜

境内社:皇大神杜、・厳島神杜、・白山神杜、・義家神杜、・景政神杜


和光神社

・[和光神社] 御祭仏:虚空蔵菩薩 


県天然記念物 大銀杏

・熊野神社参道入口にある県天然記念物:大銀杏






神社参拝の記録





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