宮城県遠田郡美里町牛飼斎の台37 鎮座
● 拝 殿 ●
御 由 緒
・崇徳天皇の永治元年(1141年)、摂津国(大阪府の北部/兵庫の一部)の現宮司家の祖・小山田
清寧(キヨヤス)が家の神として勧請したと伝えられる。その後裔・浄円、元亀2年(1571年)神璽
(シンジ=御神体)を奉じて小牛田村旧屋敷に来て住み、天正3年(1575年)祠を建てこれを鎮め
奉る。寛文2年(1662年)、自円の孫・宥鏡のとき仙台藩において新たに小牛田駅(宿駅)を開
設するに際し、南小牛田町屋敷の地に社殿を造営される。
・元文元年(1736年)村内の大火で類焼、元文5年(1740年)再建される。寛政4年(1792年)社殿
の改築を起工、文化6年(1809年)社殿を造営された。
・明治になり小牛田町の総氏神として国より指定。その後、明治41年(1908年)、町内大火災の
時に全焼するが、社掌憲一郎が仮社殿を設けると共に、日枝神社を合祀。明治42年には八幡
神社、神明社、日枝神社を合祀するにより郷社に昇格する。これにより同年3月、神饌幣帛
料共進社(シンセンヘイハクリョウキョウシンシャ)に指定される。後年、社司昇境内地として現在地を取得し、
本殿と幣殿を新築、拝殿と社務所を仮設し、大正6年(1917年)12月26日、遷座祭が斎行され
た。昭和4年より8年をかけて拝殿・参集殿を新築し、合わせて神域の整備も行われた。
御 祭 神
○ 木 花 佐 久 夜 比 賣 命 (コノハナノサクヤヒメノミコト)
○ 大 山 咋 命 (オオヤマイクノミコト)、 ○ 天 照 大 御 神 (アマテラスオオミカミ)
○ 誉 田 別 命 (ホムタワケノミコト/応神天皇)
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● 本 殿 ●
● 神 輿 殿 ●
◎小牛田駅から北へ2キロメートルに鎮座し、七五三・どんと祭では多くの参詣の人々で賑わい
美里町の象徴的存在になっている。境内はに庭園もあり、「産声の道」という遊歩道も
整備されている。・・・小牛田まんじゅうも人気!