旧国幣小社

 湯 殿 山ゆどのさん 神 社 

 山形県鶴岡市田麦俣字六十里山7 鎮座 地図


 出羽三山神社公式HPへ

湯殿山Map

・開山期間:4月29日より11月3日頃まで(積雪期は閉山) ◎開山祭:6月1日。     

・湯殿山は、月山南西山腹に連なるなだらかな稜線を持つ山で、この山と品倉山の尾根

 との間に横たわる峡谷に、五穀豊穣と家内安全の守り神として崇敬される湯殿山神社

 がある。修験道の霊地としての湯殿は、ご神体である出湯と、その湯ばなにおおわれ

 た巨岩を示し、出羽三山の奥の院として、羽黒山・月山で修行した修験者が大日如来

 の境地に入る場所とされ、清浄神秘の世界である。  〜出羽三山神社HPより〜 


 御 祭 神 


○ 大山祇神(オオヤマツミノカミ)、 ○ 大己貴命(オオナムチノミコト)、 ○ 少彦名命(スクナヒコナノミコト) 


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湯殿山・光景



湯殿山本宮



湯殿山本宮



湯殿山・光景



湯殿山本宮から大鳥居





● 湯殿山4ヶ寺(神仏分離以前の湯殿山別当寺) ●


○湯殿山神社(口ノ宮湯殿山神社)は、山形県西村山郡西川町本道寺にある神社で、もと

 は本道寺(月光山本道寺)という真言宗寺院で、大同4年(809年)に、湯殿山参拝のため

 に訪れた空海によって開基されたという。天長3年(827年)に湯殿山大権現を勧請して

 伽藍が造られた。本道寺は空海の遺訓もあって、4ヶ寺の正別当として湯殿山の中心 

 的な別当寺となった。明治元年(1868年)、本道寺の周辺は戊辰戦争の戦場となった。

 将軍家の祈願所であった本道寺は、新政府軍によって攻撃を受け、大伽藍は焼き払わ

 れてしまう。また、明治7年(1874年)に神仏分離令が発せされると、本道寺は寺号を 

 廃し、口ノ宮湯殿山神社となった。                      

・祭神は大山祇神・大己貴命・少彦名命と、月読命(月山の祭神)・伊弖波神(羽黒山の 

 祭神)を配祀する。                              



○湯殿山神社(大日寺跡湯殿山神社)は、山形県西村山郡西川町大井沢中村にある神社で

 もとは大日寺(金色山大日寺)という真言宗寺院で、大日寺の開基は、「妙学坊文書」

 によると天長年間(824〜834年)に空海によって建立されたという。大日寺が最も繁栄

 したのは江戸時代で、貞享元年(1684年)に勅命により、国家鎮護玉体安穏の祈願寺と

 なった。また、大日寺は霊験あらたかな「日本七大霊場」の1ヶ所にも数えられる。 

・祭神は大山祇神・大己貴命・少彦名命である。                 



○大日坊(ダイニチボウ・湯殿山総本寺瀧水寺金剛院大網大日坊)は、山形県鶴岡市にある真

 言宗豊山派の寺院で、825年(天長2年)空海(弘法大師)により開山、弟子である渡海を

 開基として開かれたと伝えられる。出羽三山神社(羽黒山、月山、湯殿山)では、蜂子

 皇子(能除大師)を出羽三山の開祖としているが、大日坊及び注連寺では空海を開祖と

 している。大網大日坊の大網の名は湯殿山の本地仏である大日如来と、月山の本地仏

 である阿弥陀如来を掛け合わせた「大阿弥」から来ており、地元ではこの大網の地を

 「空海によって聖地として定められ、清められた地」として、湯殿山を高野山と対な

 る聖地としている。また、この寺には、1786年(天明6年)に96歳で没した真如海上人 

 の即身仏がある。明治時代の神仏分離により、仏教寺院として出羽三山から独立をし

 た。 ・本尊である湯殿山権現は、「金胎両部大日如来坐像」とも呼ばれる。   

・大日坊からさらに奥に進んだ地に、高さ27m、根回り8mあり、山形県指定天然記念物 

 に指定されている「皇壇の杉」がある。この皇壇の杉は、景行天皇の皇子・御諸別皇

 子を偲んで植えられた杉とされている。また、寺伝によると、空海が唐より帰国の際

 に、自分が聖地として求める場所を念じ、五鈷杵と三鈷杵を日本に向かって投げたが

 五鈷杵は大網の皇檀の杉に掛かり、三鈷杵は高野山の三鈷の松に掛かったという。 



○注連寺(チュウレンジ)は、山形県鶴岡市七五三掛(シメカケ)にある真言宗智山派の寺院。山号は

 湯殿山。この寺は、833年(天長13年)、空海(弘法大師)の開山により創建されたと伝え

 られる。寺名の「注連」とは、注連縄(シメナワ)のことで、寺伝によると、境内の御神木 

 である七五三掛桜に注連縄をかけていたという。 ・本尊は大日如来。       

・注連寺には鉄門海上人(恵眼院鉄門海上人)の即身仏が厨子に納められている。    

・昭和26年、作家の森敦(モリアツシ)が注連寺に滞在。森はそれから20年余後の昭和49(1974)

 年、注連寺と七五三掛を舞台にした小説「月山」で第70回芥川賞を受け、一躍世間の 

 注目を浴びる。                                






神社参拝の記録




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