御 崎 神 社
宮城県本吉郡唐桑町字崎浜7 鎮 座
※掲載の画像は、東日本大震災(2011.3.11)以前に撮影したものです。
● 社 殿 ●
御 由 緒 ◎延喜式名神大社・計仙麻大嶋神社と尾崎神社を同殿に祭る社であるとする。 ◎計仙麻大嶋神社の論社・・・ 気仙沼・大島神社 ・・・ 田束山:計仙麻大島神社 ・計仙麻大嶋神社は、気前(けさき)、即ちケセマ崎(唐桑半島)の児置島(コオキシマ)を御神体(神 降石)として大海津見大神を祭り、唐桑町御崎の地(御崎神社東方の平坂に権宮があった) に発祥したといわれる。 ・御崎神社は、中世に日向国の外浦(宮崎県南那珂郡南郷町)の御崎神社を、飫肥(オビ)城主 であった伊東氏の後裔が同郡の津本に勧請。花園天皇の延慶年間(1308〜1310年)に、今の 地に社殿を造営し、気仙麻大島神と御同殿に遷座し祭る。 ・享保17年(1732年)、正一位の宗源宣旨(ソウゲンセンジ)あり計仙麻七郡の総鎮守とされ、明治 2年(1869年)、日本武尊を合祀し社号を日高見神社となし、明治8年村社、明治12年郷社 に列格、明治40年幣帛供進社に指定された。昭和46年(1971年)に御崎神社と改称する。 ・境内社:陰沼陽沼神社、田束御倉神社、若木神社、大山祇神社、幸神社、神明社、金刀比 羅宮、菅原神社、夷宮、祖霊社。 御 祭 神 ○素戔鳴尊(スサノオノミコト)、 ○大海津見大神(オオワタツミノオオカミ)、 ○日本武尊(ヤマトタケルトミコト) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
● 護摩堂霊殿 ●
● 児置島(コオキシマ) ●
児 置 島 伝 説 ・昔この島に、7〜8才の童児あるを海士人(アマビト)が怪(アヤシ)みてこの島に上り童児に問う て曰く、「汝如何(ナンジイカン)なればこそこの島に在るや」と。童児答えて曰く「我即ち此 の崎に在します御社に仕へる海原の神たり。そもそも此の霊場に垂跡し給う御神は海陸の 守護の神なり。汝等これを知らずんばあるべからず。今より恐れ謹(ツツシ)みて尊崇なさば 海上風波の難を凌(シノ)ぎ、得魚獲意の如く満足、五穀豊穣、世上安泰ならしむため、此の 地に霊現し給えり」言うや忽(タチマ)ち童児は岩をとび去りて光明を放ち海中に入る。海士 等奇異の思をなし拝伏す。これ竜神の変体ならんと恐れいり、以来この島を児置島と名づ けたりと・・・。
● 陽沼(オヌマ)と陰沼(メヌマ) ●
・伊弉諾神(イザナギノカミ)と伊弉冉尊(イザナミノカミ)が鎮座し、縁結びの場所とされる。
・唐桑半島は、御崎や巨釜・半造(オオガマハンゾウ)をはじめ、陸中海岸国定公園の 名勝地である。写真は巨釜の折石(オレイシ)で高さ16メートル、幅3メートルで明治三陸 地震の津波で、先が2メートル折れたことにより呼ばれる。